日傘のスキをなくしたら妖怪っぽくなった話
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土を350L買って、車のトランクに積み込む……?
私にとって初めての体験だった。
長野県のカインズで売っていた「オーガニック培養土 14L」の土袋。腰を痛めないよう慎重にカートからレジへ運んだ数は25袋だ。これがお米なら1年間余裕で暮らせる。
合計金額9,950円で手に入れた大量の土が、安いのか高いのかも正直わからない。オーガニックだから良い気がする。もしかして、こんな異常行動をしているのは、日本で自分だけではないのか? ちょっと死体でも埋めて、栄養価の高い土で分解を早めようとしているやつだと思われないだろうか?
そんな疑問が湧いてきたので、カインズの店員さんに勇気を出して聞いてみた。怪しまれないためにも。
「あの、こんなに土を買う人っていますか?」
「あー……たまにいますね。軽トラで買っていかれますよ」
「あ、そうなんですね。ありがとうございます」
一瞬、逡巡した表情を浮かべた店員さんの回答は、私が捉えている土のポテンシャルを感じさせるには充分だった。そうか、世の中には大量に土を買う人がいるのか。自分だけじゃなかったんだな。よかったよかった。
この記事をなんとなく読み始めた人に伝えたいことは、土には中毒性がある、ということ。そして、大量の土を買うと妙な安心感に包まれることだ。お笑い芸人の『笑い飯』は、2003年に全国のお茶の間を前に告げた、「ええ土ーー!」と。これから話すのは、ええ土を大量に買って庭のよくない土と入れ替えた男の、ふかふかな体験談である。
2020年現在、長野県に移住して3年目。庭付きの家に住んでいるものの、正直、生かしきれていなかった。新型コロナウイルスがきっかけでステイホームを余儀なくされ、気づけば無我夢中で庭いじりに目覚めていた。
2019年の冬、耐寒性のパンジーを20株ほど植えてガーデニング気分を味わっていたが、外にも出られず、人とも会えずの慎ましい生活には、精神的にも身体的にも限界が訪れる。朝起きたら、まず庭へ。眠い目をこすりながらパンジーに水をあげる。
人類の叡智が詰まった植物の鮮やかなカラーリングは、心に一滴の潤いを与えるものだ。あたりを見渡せば、春の目覚めともいえるツクシが頭を出し始めているが、こいつは地獄草と呼ばれるスギナの一派。知っているぞ。地下茎で手をつなぎ合い、20年近く放置された私の庭を牛耳っている厄介な存在である。
「いっちょ、やってやるか……」
おもむろにクワを手に取り、親の仇討ちの魂を自らに降ろす。肩こりに悩まされている肩甲骨を意識しながら、悪即斬のエネルギーを込めて耕すことがステイホーム中の日課になっていた。これがまぁ、適度な運動で気持ちがいい。温泉施設でマッサージを受けずとも、肩が和らぐ。スギナ殺しを掲げて土を耕し続けていると、気持ちに変化が出てきたのだ。よし、苗を植えよう! 自ら食べ物を育てて、不測の時代に備えようじゃないか!
早速Kindleで『自給自足の野菜づくり百科』なる本を購入し、パラパラと知らない世界へ意識を潜り込ませる。どうやら、憎きスギナはお茶にできるらしい。地獄茶も悪くないな。新しい発見として、土には酸性・アルカリ性を表すpH値があり、長く放置された土は酸性雨が染み込んで酸性に偏るそうだ。ジャガイモやサツマイモは痩せた酸性の土が向いていて、トマトやナスなんかはやや中性寄りが望ましい。
改めて庭の土を観察する。家庭菜園スペース候補地は土が固く、やけにサラサラしていて、とてもじゃないが良い作物の育つ土とは思えない。バカみてーな雑草は毎年ボーボーに生い茂っているが、これは棺分ぐらい掘り起こして、ええ土と入れ替えたほうがいいんじゃないか?
こうして、予算1万円の土入れ替え企画がスタートした。
我が家の庭は20年近く放置されていて、雑草の根と種は広島カープの育成枠レベルで自然界の投資を受けている。クワとスコップで汗だくになりながら固い土を掘り起こすと、スギナの太い根はもちろん、建築用に混ぜ込まれた石も大量に出てくるし、生け垣の残りカスみたいな根塊が行く手を阻む。丁寧にノイズを処理された砂場がチャイルドプレイだとしたら、人間に放置されて荒れ果てた庭はアダルトジョブだ。
罪のない石ころを運び出し、前住人の残留思念が残っているような根塊は、きわきわまでスコップで掘り出した後にノコギリで切り落とす。この作業が大変オブ大変。ただ、土を掘り起こして厄介者を取り除くプチ開墾は、農耕民族のDNAを呼び起こすのだろうか。普段のデスクワークとは雲泥の差ともいえる集中力を発揮し、休息なしで2時間ぐらい余裕で作業に取り組むことができた。もしかして適正職業は土師なのかな? 土師ってなに?
ちょうど棺分ぐらいの土を掘り起こし、カインズで買ってきた大量の「オーガニック培養土 14L」に手をかける。ごくり……。じゅるり……。口の中でよだれがジワる。そう、待望の瞬間である。
過去何度か、近所のドラッグストアで仕入れた培養土を撒いたことがあるけれど、自らが掘り起こしたスペースに新しいええ土を入れる快感は言葉にし難い。自然の一部に人間が踏み入って、人間都合で生まれたええ土を撒く。ぬるく湿ったええ土は、里山の循環に忠実な匂いがする。春に木々が育ち、秋に落ち葉が積もる。目に見えない大量のバクテリアが落ち葉を分解し、次世代へ紡ぐ肥やしへと移行する。その循環が何度何度も、不可思議、無量大数を経て、ええ土になる。
ひょっとするとこれは……神の領域なのではないだろうか。
「ええぇぇいままよ!!」
袋を切り裂いて、土をえいやそいやとばら撒く。25袋分の快感に身を委ねた。オーガニック培養土が暗黒宇宙のスペースに降り積もる。ふっかふかのほっかほか。土への欲求が爆発し、ひと仕事終えた感の後に虚しさが募る。
350Lのええ土を放り込んでみたのだが、人間の手によってパッケージされた質量よりも少なく感じてしまった。なんなんだこれは。目の錯覚なのか。脳の認知の問題なのか。いつも土を撒くたびに「あれ、もう終わりなの……?」と、親指を口に咥えた赤子のような気分になってしまうのだ。350Lでは物足りない。いつか1,000L、3,000Lの土と向き合いたいよぅ……。カインズさん、もっと、もっと土をおくれよぅ……。
伝説の勇者のごとく金色のスコップを突き刺して、土の入れ替え作業は完了。土のターンはここで終了だが、このスペースの入れ替えに2週間以上の時間を要した。まとまった時間を確保して、石を運び出したり、土を入れて整えたり、境界線となるレンガブロックを買い足したりなど、それなりに重労働だったことは伝えておきたい。とりあえず松本一本ネギでも植えようかな。
自由にいじれる土のある生活はとてもいい。新型コロナウイルスきっかけで、園芸に目覚めた人や家族で家庭菜園にチャレンジし始めた人も多いと思う。
そりゃそうだ。土いじりは楽しいのだから。
現代的な忙しさから開放されて、目先の生活で楽しみを見出だす。植物を愛でることも、畑で食を確保する生存本能を動かすのも、これまでご先祖様が何百年、何千年とやってきているんだし。原点に立ち返るいい機会になったのではないだろうか。
私も35歳まで大阪と東京で生きてきた。悪そうなやつは大体アスファルト育ち、田舎で知り合う良い人は大体土育ち。言い切れないけれど、そんなフレーズが見出だす何かがありそうじゃないか。
いかんせん都会で暮らしていると、アスファルトとワンセットの生活に陥ってしまう。ステレオタイプな人生の上がり“庭付き一戸建てのロマン”は土への憧れかもしれない。逆に、マンションのベランダでは土の扱いに困る。こぼした土が雨で隣の家に流れたら苦情につながるかもしれないし、プランターで扱える土の量には限りがあるだろう。ただ、制限のある中で植物を育てるのも乙なものだと思う。そこには必ず土がついてまわるから。
もし人生のどこかのタイミングで庭のある生活を手に入れたら、私のように一度、大量の土を撒いてみてほしい。クワで土を掘り起こしてみてほしい。そこで快感を得られたらラッキー。老後の人生が捗ること間違いなし。
それに、土を掘って出てくるのは雑草や石ころだけではない。痩せた土のなかで必死に栄養素を探すミミズが出てくると、めちゃめちゃテンションが上がる。目の前にある小さな世界で喜びを見出だす──植物と土が教えてくれるのは、子どものときに誰もが持ち合わせていた視点だと思う。
今回使った商品
※オンラインショップでは5Lと25Lのみの取り扱いとなります。
合計9,950円(税込)