【獣医師監修】猫の目の色が違うのはなぜ? 色の種類や変わる理由を解説
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目次/ INDEX
「替刃式のこぎりなんておもちゃだ」――当時の大工たちはそう言ったという。
かつてはすべてののこぎりが「目立て」という作業を経て再生されていた。「目立て」とは、のこぎりの歯がつぶれてしまったり、鈍くなってしまったりしたものを研磨して鋭くし直すことだ。一本一本、のこぎりの状態は異なるため、その再生作業には職人の長年培った技術が必要とされた。
ところが現在、一般のDIY愛好家はもちろん、大工の多くもこの特殊な職人技「目立て」に頼らずに、のこぎりを使っている。1980年代初頭から、「替刃式」ののこぎりが主流になってきたからだ。
“のこぎり業界を変えた”と表現しても過言ではないこの大転換の過程で、大きな役割を果たしたのが岡田金属工業所の替刃式のこぎり「ゼットソー」という商品。「目立て代でサラ(新品)が買える」という謳い文句で売り出されたゼットソーは、発売から4年目で年間66万枚を売り上げるなど爆発的ヒットを記録した。
切る素材など用途に応じてラインナップも拡大を続け、現在のゼットソーは200種類を超えている。販売数も安定して年間500万枚を叩き出すなど、のこぎりのスタンダードとして定着している。
ゼットソーはなぜのこぎり業界を変えることができたのか、そもそもどのように誕生したのか。また、ゼットソーを生み出す工場にはどんな特徴があるのか。その秘密を探るべく、兵庫県三木市にある岡田金属工業所に話を聞いた。そこには、傾いた会社を立て直そうと奮闘した男たちの物語があった。
株式会社岡田金属工業所常務取締役の近藤高弘さん
話をしてくれたのは、岡田金属工業所常務取締役の近藤高弘さん。ゼットソーの誕生には3つの要因があったと言う。
「ゼットソーは社内的、社会的、技術的の3つの要因があったからこそ誕生したと言えます。具体的に挙げると、①社内的要因は、会社の状況が芳しくなく何か新しいことを探していたこと、②社会的要因は、現場で使われる建材が変化していたこと、③技術的要因は、衝撃焼入れという技術がちょうど日本に紹介されていたことです」
伏線は1970年代のオイルショックにあった。1973年の第一次オイルショックによって発生したインフレを抑えるべく、日銀が主導となって行った金融引き締めにより、景気が悪化し日本は不況に覆われた。追い打ちをかけるように、1979年には第二次オイルショックが発生。岡田金属工業所も影響を受け、会社存続の危機に陥ってしまった。
ちょうどこの頃、高周波で瞬間的に焼き入れ処理ができる技術がドイツから日本に紹介されていた。この技術をのこぎりの刃先に使えば、耐久性にすぐれた商品ができる。そんな直感を信じた当時の岡田金属工業所のメンバーが試行錯誤を繰り返し、知見を積んだのが大きかった。近藤さんは話す。
「その技術を使った、不燃ボードを切るための“不燃ソー”という商品はヒットには至らなかったのですが、大工さんのニーズを徹底的に掴んだ刃渡り265mmの“ゼットソー265”はヒットしました。ちょうど接着剤の入った硬い集成材が流行り、大工さんが困っていたからです」
兵庫県にある岡田金属工業所の外観。右にそびえるのはモニュメントの「ゼットタワー」
ゼットソーというネーミングには、「こののこぎりが売れなければ我が社は終わり…」という背水の陣の思いと創業メンバーの思いが込められている。
「もとになったのは、創業者兄弟が不況を乗り切るために掲げた“ゼット旗構想”です。ゼット旗とは日露戦争時、日本海海戦において東郷平八郎連合艦隊司令長官が旗艦三笠に掲げた暗号指令旗。その意味は“皇国ノ興廃此ノ一戦ニ在リ、各員一層奮励努力セヨ”でした。そのゼット旗にちなみ、自分たちと社員に奮起するように号令をかけたのが“ゼット旗構想”です。この思いと“もう後がない、みんなで頑張ろう”という思いを込め、ゼットソーは社運をかけて発売されました」
背水の陣でリリースされたものの、大工たちの反発は大きかった。「替刃式などおもちゃだ」と頑なに使用を拒む大工も多かった。逆風のなか、ここでも奮闘した男たちがいた。
当時、一丁2~3万円で販売されていた職人用のこぎり。一方、ゼットソーは2千円前後と10分の1。替刃代も当時の目立て代より安かった。それだけに偏見を持つ人は多かった。しかし、当時の販売関係者は「まずは使ってもらおう、実際に使ってもらえればわかる」と店頭で試し切りの機会を提供し続けた。そうした地道な取り組みの結果、口コミがじわじわ広がり、4年目の大ヒットにつながったのだ。
当時ゼットソーを購入した大工は、現場でゼットソーを使用しながら、職人用ののこぎりも施主に見せる用として持ち運んでいたそうだ。大工だけではなく、一般の人にとってもまだ替刃式のこぎりの立場が弱かったことを表すエピソードで、この固定観念を覆すのは容易ではなかったことがうかがえる。