日傘のスキをなくしたら妖怪っぽくなった話
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目次/ INDEX
古くから、日本の食卓にはなくてはならない存在である「漬物」。その漬物の奥深さに魅了され、漬物専門店を自らの手で開き、今日も多くの人の手に漬物という日本の文化を伝えている人がいます。漬物専門店「やなぎに桜」店主・柳沢博幸さんです。
柳沢さんは、漬物についてこう語ります。
「いつの時代でも、食文化を覗けば必ず存在する」
「本来の良さを、改めて大切にしていきたい」
「距離感は変われど、これからも関わり続ける深い世界」
柳沢 博幸
1992年から2011年まで築地市場の漬物問屋にて就業したが、本当に売りたいものが売れないジレンマに陥り独立。
2011年4月に文京区千駄木にて「漬物専門店やなぎに桜」を開業。美味しくて健康的な無添加漬物をお届けしたい! という思いで現在に至る。ヒルナンデス、アド街ック天国、Nスタ、所さんの目がテンなどをはじめ、ラジオや雑誌などにも出演。
──柳沢さんは、現在千駄木で、「やなぎに桜」という漬物専門店を経営されているんですよね。
──よろしくお願いいたします!
──漬物といえば昔から必ず食卓に並び、生活の中に当たり前のようにあるものというイメージです。
昔から日本人には馴染みのあるものですよね。歴史もかなり長く、縄文時代から漬物は作られていると言われています
──そんなに昔からあるんですか⁉︎
そうなんですよ。当たり前ですが昔は冷蔵庫なんてものはありませんでしたので、冬の間は、春〜秋に収穫した食べ物でなんとか食いつなぐ必要がありました。そのため、食べ物を長期保存する方法として生み出されたのが、漬物なんです
1番最初に生まれた漬物は“塩漬け”でした。その後大和朝廷の時代に、中国から日本に醸造技術が入ってきたんです。そこからは粕漬け、味噌漬け、醤油漬け、麹漬けなんかが生まれましたね
──「発酵」という文化自体が、日本に入ってきたんですね。
はい。そして安土桃山時代になり、漬物はさらに飛躍的な進化を遂げ、趣向の凝らしたものがどんどん出てくるようになります
──なぜそのタイミングで進化が進んだのでしょうか?
これには2つ理由があるのですが、1つは見栄を張るためです
──見栄?
そのころの日本は武家社会の時代なのですが、武士や貴族たちが自分の地位や威厳を周りに示すために、外国の文化の知識を、周りに見せつけることがあったんです。だから、外国の醸造技術を使った、珍しい漬物が広まるきっかけになりました
もう1つの理由は、当時上流階級の中で、“香木”という匂いがついている木材を使用して嗜むお遊びのようなものが流行していました。その香木の香りを何種類も嗅いでいるとよくわからなくなってしまうので、間にちょっとぬか漬けを食べて休憩する。というような使い方で、上流階級が発展するのとともに、漬物もさらに進化をしていったんです
──最初の長期保存するためという目的から、だいぶ変わってきましたね。その時代、庶民の人たちは漬物を食べていなかったんですか?
塩漬けなど簡単なものは食べられていたと思いますが、醸造技術を含んだ漬物を食べるようになったのは、江戸時代からですね。たとえば、砂糖が手に入るようになってからは、“べったら漬け”が生まれました
べったら漬けというのは、大根を米麹と砂糖で漬けた漬物です。べったら漬けは“皮付き”と“皮むき”の2種類があるのですが、どちらが最初に生まれたのかは、いまだに明らかになってないんですよ
──柳沢さんは、どちらが最初に生まれたと考えているんですか?
僕は“皮付き”から生まれたと思っています。なぜかというと、干した大根って、皮を剥くのがすごく大変なんですよ。当時は畑から加工場まで離れていたと思うので、運んでいるうちに野菜も干されてしまっていたんじゃないかな、と思うんです。その状態から皮を剥くのは大変だと思うので。だから、“皮むき”のべったら漬けが売られるようになったのは、車などの輸送手段が発達してからのことなのではないかと考えました。あくまでこれは僕の予想ですけどね
──漬物は歴史が古いだけに、誕生秘話もいろいろですね(笑)。現代になってから、漬物はどのような種類が生まれたのでしょうか。
はい。かれこれ漬物の文化に携わって30年になります。漬物は歴史が古く、知れば知るほど深い世界なので、ぜひ魅力を知っていただけると嬉しいです!