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秘儀としての焚火、その召喚術

クリエイター

ワクサカソウヘイ

ワクサカソウヘイ

文筆業・制作業。主な著書に『今日もひとり、ディズニーランドで』(幻冬舎文庫)、『ふざける力』(コアマガジン)、『磯ZINE』(汽水空港)、『夜の墓場で反省会』(東京ニュース通信社)などがある。

秘密めいた焚火に炙られたいとは思わないか

みんな、秘儀しているか。私は秘儀している。

秘儀とはなにか。それは字面のままで、秘密めいた儀式のことである。そして秘儀は、私にとって大切な趣味行動でもある。

いやいや、だから秘儀っていうのは、具体的にはどのようなものなのか。困惑しているあなたに、この写真で説明したい。秘儀とはつまり、このようなものである。

秘儀

秘儀

なんだ、焚火のことか。そんなふうに拍子抜けした人もいると思う。

そうだ、秘儀とは要するに、焚火のことである。人目を避けた場所で、燃え盛る火をこそこそと楽しむことを、私は秘儀と呼んでいる。興が乗れば肉を焼き、酒などを飲んでもいい。一人でやるのもよし、仲間と一緒もまたよし、である。

BBQ

それって、BBQとは違うのか、という質問も飛び出すと思う。違う、まったく違う。

私が好んでいる「秘儀としての焚火」の本質は、火を火としてプリミティブに楽しむ、というところにある。火を魔法陣として、そこからあらゆるものを召喚させるのが、秘儀なのだ。火の力を最大限に抽出して執り行うべきものなのだ。
BBQは火の他にも、網や鉄板やグリル台、なんならタープやテーブルやクーラーボックスなど、色々と必要な物品が多い。アウトドアアクティビティでありながらどこか都会的なのがBBQなわけだが、それに対して「秘儀としての焚火」は獣性に重きを置いている。だから、肉を焼く場合にはこのようになる。

熱した石の上でダイレクトに焼かれる肉

いきなりステーキ、とはまさにこのことである。

火のそばで熱した石、その上にてダイレクトで肉を焼く。ジュジュジュ―ッ、と断末魔の叫びを上げ、赤い塊はステーキへと変化していく。実に呪術的な光景である。秘儀とは、こうでなくてはいけない。

また、米が欲しくなった際にも、飯盒などは使わない。秘儀の炊飯で用いられるのは、竹筒である。

インドのバスマティ

しかも日本の米ではなく、インドの「バスマティ」が登場する。ミントや玉ねぎ、マサラなども用意する。これらを調合し、竹筒の中に封じ込め、火の上で野性的に炙っていく。

竹筒と焚き火

すると恐ろしいことに、ビリヤニが召喚される。竹の独特の青みがかった風味が口の中いっぱいに広がる。普段の生活の中では味わうことのできない、禁忌的な美味しさだ。

ビリヤニ

そうやって、白眼になりながらビリヤニや肉塊を口にし、ウッホウッホと酒を飲む。気持ちが昂れば、火の周りで舞いをするのもよいだろう。

そうだ、厚切りベーコンも持ってきていたんだった、と途中で思い出し、それも焼き石の上にべたりと寝かせる。ジジジジジ、ジジ、ジジジ。アブラ汗を滴らせ、それは炙られていく。いや、ベーコンの終末を見守る私もまた、火に炙られているのだ。頬に熱が照りつけ、心に焼き目がついていく。怪しげな宴は夜が更けても続いていく。

焚き火と竹筒

秘儀に身を委ねなければならない

このように、BBQ的にではなく、秘儀的に焚火を楽しんでいる。ことあるごとに着火して、こっそりと野外での飲酒を嗜んでいる。

どうして私は、この秘儀目的(ギモク)の焚火に手を染めるようになったのか。

やることなすこと、すぐさまSNSに投稿しないと気が済まない身体となってしまった、昨今の自分である。「仕事で京都へ来ています」「ディズニーシーへ遊びに行きました」「初めてホテルでアフタヌーンティーを楽しみました」云々。誰に頼まれたわけでもないのに、そうやってプライベートを自らディレクターズカットして、不特定多数の大海に流出している。日々の行動をオープンソース化させてしまっている。

そして、ある日にハッと気がついた。これは、なんだかまずいことになっているのではないか。このまま自身の行動を開けっ広げにしていると、個人の輪郭が世間の渦の中へと溶けていってしまうのではないか。そして最終的に、私は私ではなくなってしまうのではないか。

でも、SNSはすでに日常と強く癒着している。私のような小者は、それを除去する技術や度量を持ち合わせていない。じゃあ、どうすればいいのか。

そこで編み出した呪文こそが、「秘儀としての焚火」である。

赤く燃える火

引き続き、「今日は劇団四季のミュージカルを観に行きました~!」などとダブルピースで公然と行動を露出させる。その裏で、どこに開示するわけでもない、というか開示の必要がまったくない、無骨さに満ちた無意味的なアクティビティを実施する。A面の行動とB面の行動、この両律を獲得することで、自身の暮らしの輪郭バランスを保つのだ。

この「B面の行動」こそが、秘儀である。焚火である。私は薪木を燃やすことで、生活の中に裏アカウントを召喚したのである。

秘儀に身を委ねることは、私にとって、現代社会を生き抜く術でもあるのだ。

これが私の裏アカウントです

これが私の裏アカウントです

焚火がやがて熾火へと変わり、朝を迎える。

しかし、秘儀はまだ終わらない。真っ赤な脈を打つ炭たちの中から掘り出したのは、宴の最中に仕込んでおいた、アルミホイル包みの赤身の牛肉。開けばそこには、ローストビーフである。

ローストビーフ

そう、ずっと肉を食べ続けている。喋っているよりも、肉を噛むことで口が長らく忙しい。それでいい。そういう焚火を、私は欲しているのだ。

「肉、うめえ」「火、あちい」「酒、足りねえ」。この三言語だけで成り立つ荒々しい宴、それこそが秘儀なのである。

ちなみに、もう一言語くらいオプションでつけたいようであれば、「岩、でけえ」をおすすめしたい。どういうことか。すべての肉を食べ終え、焚火の片づけが終わったら、すみやかに鍾乳洞へと向かうのである。

鍾乳洞

鍾乳洞のなか  赤く光る鍾乳洞

風呂上がりのコーヒー牛乳のように、サウナのあとの水風呂のように、焚火終わりの鍾乳洞は、爽快にキマる。遠赤外線効果で火照った体に、風穴を通り抜けるヒヤリとした空気が気持ちいい。

周りを覆うのは、とにかく、岩、岩、岩、そして岩である。口から漏れるのは「岩、でけえ」というコメントだけだ。一晩中、火を見つめ、肉を食べ続けていたことで、烈々と育った原始人的な趣。そこに洞窟の岩肌が醸すスケールの大きな静謐さが合わさることで、野性味の情緒は完成する。鍾乳洞は、秘儀の最上のデザートなのである。

街に出よう、軽率に火をつけよう

さて、ここまで紹介した秘儀は一昼夜をかけてのものであったが、日常の中でよりラフに焚き火をしてもそれはそれで問題ない。わざわざ河原やキャンプ場に出向かなくても、近所にてミニ秘儀を執り行っていい。

というか、私たちはもっと軽率に火をつけるべきだ。薪を無意味に燃して、日々の暮らしに句読点を打つべきだ。散歩ついでの焚火を、ここで強く推奨したい。

手提げ袋

手提げ袋に入れたのは、折り畳み式の焚火台 (カインズで購入)、そして生肉や林檎などの食材、あとはトングやアルミホイルのみである。これだけをぶら下げて、近くにある焚火OKの公園へと向かう。

直火禁止のデイキャンプエリアでも、焚火台があれば秘儀可能

直火禁止のデイキャンプエリアでも、焚火台があれば秘儀可能

薪木は現地調達する(BBQサイトが設定されている公園などでは、薪木を取り扱っている売店が併設されていることが多い)。周りに人がいない場所を選び、焚火台を広げたら、すみやかに着火する。あとはもう、こっちのものである。ミニ秘儀スタートである。

りんご

アルミホイルに巻かれたリンゴ

林檎をアルミホイルに包んで、火の中に放る。これがミニ秘儀の開幕ファンファーレである。

ステーキ肉を串に刺して、炙る

そしてステーキ肉を串に刺して、炙る。

ちなみに私はこの日、午前中は自宅で普通に仕事をしていた。で、「息抜きに(焚火付きの)散歩でも行くか」となって、いまはこうして肉を大胆不敵に焼いている。軽はずみからの非日常。大変に愉快な気分である。だいたい月に二回のペースで、私はこのように思いつきの肉炙りをしている。

青空

肉の焼ける匂いがそうさせるのか、カラスたちが集まり、騒ぎ出した。ぎゃあぎゃあぎゃあ。そのBGMによって、秘儀のトーンが満ちていく。

焼けた肉

焼けたリンゴ

「肉、うめえ」「焼き林檎、甘酸っぺえ」「カラス、鳴きやまねえ」。秘儀名物、三言語のみの感想が現れる。気分は原人だ。

燃えカス

あとはもう、じっと火を見つめて、どこに投稿するわけでもない、自分だけの儀式の時間を堪能する。そうしているうちに、なにかが回復していく。なにかがチャージされていく。

私にとって焚火とは、自分の輪郭を浮かび上がらせ、そしてその内にMP(マジックポイント)のようなものを召喚させるための儀式なのかもしれない。そんなことを思い、満足して家へと帰る。

BBQ大会

飲み会で盛り上がり、「近々このメンバーでBBQ大会をやろうぜ!」となる。「いいね!」「やりたい!」「自分は車を出すよ!」。でも、そのBBQ大会は絶対に開催されない。飲み会の次の日、「マジでBBQ大会やろうぜ」なるLINEグループが作られることは、ほぼない。

あれはなぜなのか。遊びが予定に変わった瞬間、だるくなるからだ。「遊び」とは、無意味の上に立脚している。で、そこに「予定」という意味が宿ると、途端にそれは「遊び」足り得なくなる。「遊び」にとって、意味は天敵だ。

無意味は私たちの生活において、非常に重要な休符記号だ。無意味に遊ぶことで、私たちは意味にまみれた暮らしから逸脱し、そこで息を吹き返す。

予定調和から解き放たれ、軽率に火をつける。軽はずみに焚火をする。思いつきで無意味な秘儀をする。それは私にとって、日々を紡ぐための魔術なのである。

そして最後に、もう一度唱えたい。

みんな、秘儀しているか。私は秘儀している。

※この記事は、直火OKのキャンプ場にて撮影を行いました。

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