「最強の定食」の定義から考える。「色」と「方向」重視の定食
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いかめしいバンド名(編注:由来は「遠山の金さんの台詞」より。「なんか和風な名前がいい」というメンバーの提案をきっかけに名付けられた。公式サイトを参照)から想像もつかないような日常の何気ない出来事やワンシーンを切り取った歌詞を、激しいサウンドにのせることから「生活密着型ラウドロック」という愛称で呼ばれるバンドが、打首獄門同好会(以下、打首)です。
2018年には日本武道館でのワンマンライブを実施、チケットを完売させるなど、今乗りに乗っているバンドですが、そんな打首の名物といえば、手作り感あふれるライブパフォーマンスもその一つ。曲の世界を表現する映像を流したり、ライブ前に工作キットを配ったり、どのアイデアも「その発想はなかった!」という斬新さとエンタメ性が光ります。
そんなライブパフォーマンスを含めた打首のクリエイションを牽引するのがリーダー、大澤敦史さんです。ちょっとした備品のカスタマイズからLEDディスプレイの製造まで、持ち前の技術力と行動力を武器に、さまざまなものを作り出してきました。その動き方は日曜大工そのもの!
今回はバンドの「木工担当」を自称する大澤さんに、DIY愛を語り尽くしていただきました。ほぼ音楽の話が出ないインタビューとなりましたが、さまざまなDIY作品から大澤さんのクリエイター魂をたっぷりお伝えします。
──VRライブハウス(編注:無人ライブを360度カメラで撮影し、VR映像として鑑賞できるようにする試み)を拝見しました。「頭上に魚が泳いでいる!」と思いきや、お札が舞ったり、回を重ねていくごとにカメラの位置が変わったり、試行錯誤の跡がうかがえて感動したのですが、こういうアイデアはいつも、大澤さん主体で形にしていくんですか?
大澤:十中八九自分からですね。自分がいたずらを始めて、それにメンバーが乗ってくる、という感じです。
ステージでは「お札」が舞う(「VRライブハウス」より)
VR以外で、最近披露したものだと、これですかね。
──これは……?
大澤:キットは打首の曲、『きのこたけのこ戦争』をモチーフにした折り紙ですね。観客の皆さんにライブ会場で配りました。
以前は客席を半分に分けて「お前らきのこで、お前らたけのこ! 今から戦争な!」って呼びかけて、声を出し合ってウォール・オブ・デス(編注:曲が盛り上がるタイミングで観客同士がぶつかり合うモッシュのスタイル)をしてもらっていたのが、コロナ禍で一切できなくなって。悩んだ末に「(これを持って)セルフ戦争すりゃよくね?」という考えに至りました。お客さんには、入場から開演までの1時間くらいで作ってもらいました。その間、スクリーンに作り方の映像を流して(笑)。
──ライブに来たと思ったら工作をさせられるわけですね。
大澤:それにしてもこれ、ちゃんと片方の絵を反転させておけばよかったな……。重ね合わせた時にちょっとズレてしまうんです。
──後悔するポイントが音楽じゃないんですね(笑)。
大澤:ちなみに、お札は『カモン諭吉』を演奏する時にステージの上からばら撒く小道具です。コロナ禍になってからやってはいないですが。もともとは100円ショップで売っている「玩具銀行」をばら撒いてたんですよね。「スーパーとかで間違って出さないように気をつけて!」って言いながら(笑)。
──お客さんに配らない後ろ側の設備もDIYされていると伺っています。どんなものを作っているのでしょうか?
大澤:音楽活動を始めて一番最初に作ったのが、エフェクターボード(編注:足で踏んでギターの音を変えるエフェクターという機材を格納するケース)でしょうか。市販のボードに、ちょうど合うサイズのものがなく。小っちゃい木片がいっぱい入った板材を買って、木片を木工用ボンドで貼りつけて作ったんです。
手作りのエフェクターボード(大澤さん提供)
──たしかに、サイズやエフェクターの格納方法などカスタマイズする余地が多そうな道具ですよね。
大澤:エフェクターまわりは結構DIYしてて、他にもアンプのヘッドとキャビネットの間にエフェクターを格納するためのケースとか。これ、木から作ったんです。
──全く木に見えない……。取っ手やキャスターは後から付けたんですか?
大澤:そうですね。重過ぎたから後から取っ手を付け足したりしています。
あと、先ほど「木に見えない」とご指摘いただきましたが、アンプの表面と同じ素材を木工用ボンドで貼り付けて、アンプに同化させているんです。機能的な意味はなくて、「すごい! (アンプ)ぽくなった!」「高そう!」って自己満足しただけですが(笑)。
アンプと「同化」したケース(大澤さん提供)
──市販品に合わせる、という「機材ありき」の考え方ではなく、ニーズに沿ったものがなければ自作する、という精神はとてもDIYですよね。
大澤:「必要は発明の母」っていうじゃないですか。もともと予算がない中、アイデアを絞りながら活動していたので、「(自分に合ったものが)ないなら作ればいいじゃん」っていう発想なんですよね。まぁ、そこからどんどんエスカレートしたわけですが……。
──どういう風に「エスカレート」していったんでしょうか?
大澤:LEDディスプレイも作っちゃったんですよね。うちは昔からVJ(編注:ビデオジョッキー。音楽に合わせて映像をスクリーンに流すこと)というポジションがありますが、それ用に作ったのがこの「クララ」。
現在はサイズをさらに大きくした「2代目クララ」がライブで活躍中。中国から部品を取り寄せるという本気度
ライブハウスでVJをする時、いつもヤフオクで落札したプロジェクターをずっと使っていたのですが、野外フェスの会場だと太陽光の明るさに負けて映像が見えなくなってしまう。
ライブハウスで使用されていたVJ用のプロジェクター。脚立はスピーカースタンドの転用で、規格の違うものを組み合わせるため間に木の板を一枚噛ませる、というアイデアが光る
屋外で使うには光源をLEDにする必要があるのですが、市販のLEDディスプレイは目玉が飛び出るような値段で、買うにも借りるにも、とても費用対効果が合いませんでした。
でも、フェスって最もプロモーションに適した場所なので、VJを「やらない」のはもったいなさ過ぎる。そこで、秋葉原のLEDを扱う専門店に行ったら、なんか小さいLEDパネルが売ってたので、その場で1枚数千円のものをいくつか買って試してみたら本当に(映像が)映って。「これは作ろう」となりました。
──電子工作の要素もあるので、素人目には「大変そう」と思うのですが、型番や規格や配線のことをウンウン考えず「出たとこ勝負」だったんですね。
大澤:店員さんに話を聞くと、構造が案外単純だったので、力技で完成させましたね。電子工作の経験はほとんどなかったんですけど、パネルをつなぎ合わせて電源ユニットから各パネルに配線させるだけでしたから。ちなみに、外枠は木で作っています。
──どうしても複雑な配線に見えてしまうのですが……ネジが取れたとか映像が出ない、みたいなトラブルはなかったのでしょうか?
大澤:なかったわけではありませんが、自分が作ったものだからトラブル対応も楽なんです。「あぁ、このネジが外れたんだな」「これはスイッチの寿命だね」って。
──なるほど、そんな側面が。ちなみにここまでスルーしていましたが、クララの名称の由来は?
大澤:下側に穴を二つ開けてスピーカースタンドをはめこんでみた時、周りが「立った!立った!」って沸いたので、(『アルプスの少女ハイジ』の名セリフ「クララが立った!!」にちなんで)その場で「クララ」という名前になりました。
──(笑)。あと、この後ろにあるのはクララのケースですかね?
大澤:ケースって呼んでいいのかな? 伝票がそのまま貼ってあるけど。
段ボールを連結させて、さらに大きな段ボールを作る。よく恥ずかしげもなくこれを巨大フェスのライブ会場で車から降ろしてたよね(笑)。
──今ご紹介いただいたDIY作品だけでなく、打首はその表現手法も非常にオリジナリティがあると思います。例えば、VJというポジションは、ロックバンドだと珍しいですよね。
大澤:そうですね。2007〜8年頃に始めたのかな。以前、CDの紹介映像、今で言うところのリリックビデオ(編注:ある楽曲の歌詞をテキストベースで表示していく映像)をライブ会場の物販で流したら、えらくCDが売れたんですよ。
「これはライブパフォーマンスでも応用できるな」と感じて、試しにライブ中、スクリーンに歌詞を映し出してみたのがすべての始まりですね。イラストなんかなくて、パワポ(PowerPoint)にテキストを打ち込んだだけ(笑)。
──めちゃくちゃお手製ですね。2010年リリースの『デリシャスティック』のMVもそうですが、当時は今よりも手作り感が強い印象ですね。
大澤:デリシャスティックのMVは自分で作りました。当時はとにかくお金がなかったんです。カメラマンに写真だけ撮ってもらって、あとはPhotoshop Elementsっていう廉価版ソフトでその写真を1枚1枚雑に切り抜いて、Macに元からインストールされているiMovieで編集する(笑)。いや〜これもDIYですよね。
──お金がないからアイデアで勝負する、という感じでしょうか。
大澤:そうですね。お金はないけど「いたずら」はしたい。お金がないと普通は「やらない」となりますが、「そこはなんとか工夫できないか」ともがきたいんですよね。
ライブで小ネタを披露し始めて10年近くになりますが、本当にお金をかけられないときは、スケッチブックに何かを書いてステージ上で広げたり(笑)。「ただ弾いて、歌って、終わり」にはしたくなかった。
──そこまで大澤さんの行動を促すものは、何だったんでしょう?
大澤:時代の移り変わりを感じていたんです。かつては専用の機材や設備、場所がなければレコーディングも映像編集もできなかったのに、パソコンの進化で、そのハードルがだんだん下がってきた。それに気付いた時、「この波に乗り遅れたら、多分次の時代についていけないぞ」って感じて。
それに、「人とは違うことをやろう」という思いもありました。ただ、市販の道具があるってことは「すでに誰かがやったこと」なんです。だから、人と違うことをやるためにも、いろいろな道具を作るしかなかった。
──公式サイトに書かれていますが、曲の歌詞もほぼ「ノンフィクション」だとか。自分で体験して作る、という意味では曲自体もDIYされていますね。
大澤:そうですね。お遍路の曲を作る時には、四国八十八か所巡りもして。その様子をVJで流したり(笑)。
『ヤキトリズム』を作ったときは、狂ったように焼き鳥を食べていました。まずは朝イチで市場に行って。
──まるで飲食店の仕入れですね(笑)。
大澤:市場の一般人が買える時間帯に、スーパーではなかなか見ない「せせり」を大量買いして。家に持って帰ったら、それを一本一本串打ちして。今度はアウトドア用の焼き鳥コンロと芋焼酎、氷とせせりを抱えて、夜な夜な河原に行くわけです。
──そこで何をするんですか?
大澤:そりゃもちろん、せせりをコンロで焼きながら……氷と芋焼酎でチビチビやるんですよ。自家製のタレにつけたりしてね。「こりゃうまいな~。よし、歌にしよう」って。
──そこは「よし、メニューにしよう」でしょう。アウトプットが意外過ぎる……。
大澤:そこまで手間かけて作ったら、歌に思い入れもできるじゃないですか。次は食材を種から育てて、歌にしてみたいですね(笑)。
僕らはよく米とか魚を歌うので「第一次産業ロック」とも呼ばれるのですが、その名に恥じない歌をこれからも作っていきますよ。
──そういえば、打首の曲で、DIYをテーマにしたものはまだなかったですよね? 今後作りたい、という思いはありますか?
大澤:言われてみれば。ただ、そのためにはもっとベタなDIYもやらなきゃダメですね。まずは犬小屋とか作らなきゃ。
写真:小野奈那子