人間だと100歳超え!ご長寿猫に聞きました「長生きの秘訣はなんですか?」
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天下の名峰、富士山。標高はもとよりその美しさ、荘厳さにおいても無双な存在と言えよう。
そんな富士山に魅了され、国内でも指折りの富士山グッズコレクターになった男がいる。山梨県南都留郡鳴沢村在住の大宮仁さん(取材時72歳)だ。
書籍、チラシ、新聞雑誌の切り抜きから絵画や版画、古地図、歴史的資料、ポスター、パンフレット、絵葉書、食器、酒瓶、タバコ、レコード、C D、洋服、キーホルダー、果てはペットボトルやトイレットペーパーに至るまで、コレクションは2〜3万点にまで及ぶ。
コレクションのごくごく一部。あらゆるものに富士山が宿っている(写真提供/大宮仁)
そればかりか、近年はほぼ毎日、富士山の表情をカメラに収めてSNSで発信。大宮さんのTwitterアカウントはさながら定点観測所といってもいい存在だ。
コレクションのごく一部を披露いただきながら、富士山の尽きない魅力について聞いた。
富士山と水の関わりの深さを思わずにはいられない、大量のペットボトル(写真提供/大宮仁)
大宮さんは富士山の麓にある山梨県富士吉田市の出身。
そうサラッと話すが、地元民ゆえの素直な感情だろう。
転機が訪れたのは1989年頃、40才で地元から転職で東京へ移り住んだとき。海外へ転勤した山梨の元同僚たちに「故郷を思い出してもらいたい」という思いから、富士山麓の情報を発信する「富士みずほ通信」を立ち上げる。サイト名をつけるにあたっては、生まれた富士吉田市下吉田の旧村名「瑞穂村」から拝借した。
収集熱がマグマのように噴出するのはその直後。「そこに山があるから登る」登山家よろしく、富士山に関係するからという理由だけで集め始めたのだ。
大宮さん
東京に住んでいる頃はしょっちゅう神田の古書街に行って昔の書物や古地図を買い漁りました。骨董市も毎週のように足繁く通っていましたね。店主の方も私が来るのをわかってるから、わざわざ富士山グッズを仕入れてきてるんですよ。そういう特別な関係を保つためには無理してでも買わざるを得ないわけです(笑)。
明治から大正、昭和初期に活躍した日本画家、定方塊石の作品。明治38年頃の河口村(現在の富士河口湖町河口)が正月で賑わう様子が描かれている(写真提供/大宮仁)
トイレットペーパーの収集も。置き方がまさに/^o^\(写真提供/大宮仁)
全国をめぐって集めてきた富士酒(写真提供/大宮仁)
自分で入手した富士山関連グッズを見上げては、また買い漁る日々。それでも意外なことに、自分ではコレクターであるという自負は希薄だったという。
大宮さん
NHKの取材を受けたことがあって、ディレクターが立派な富士山コレクターですねーって言ったのがきっかけで、なんとなく自覚が芽生え始めました。
日本一の山というだけあって、富士山関連のグッズは本当に裾野が広い。
仕事の出張では、全国各地いろんな土地で見つけた富士印の地酒やビールを収集。普段アルコールは嗜まないため、中身だけ他人にあげて空き瓶を引き取った。旅先の酒屋をのぞいて空き瓶だけもらって帰ったこともある。
陶器にC D、裾野は無限大に広がっていく(写真提供/大宮仁)
それにしても、いったい富士山の何が大宮さんをここまで惹きつけるのだろう。
大宮さん
365日違った表情と出会えることですね。毎日見ていても飽きません。また歴史、景観、自然どれをとっても魅力的で日本最大の自然の遊び場であり、いやしの場でもあるからです。
古くから富士山は信仰の対象とされ、山頂には神社が祀られている。大宮さんのコレクションもまたある種の信仰に近いものを感ぜずにはいられない。
登山の様子を描いた「富士山真図」は江戸時代から明治にかけて刷られた版画の絵札。こうした骨董品のコレクションも大宮さんは膨大な数を所有している(写真提供/大宮仁)
朝日に照らされる赤富士は自身の最高傑作の一つ(写真提供/大宮仁)
大宮さんの活動はグッズ収集だけにとどまらない。たとえば20年以上日課にしているデジカメによる富士山の撮影だ。
1998年頃から撮り始め、トータルの画像データ量だけでも軽く10テラ超え。一時期はテレビのニュース番組に視聴者情報として定期的に提供したこともあった。
大宮さん
私の写真はあくまで記録写真。プロのようなクオリティは目指していませんが、何年何月何日の富士山が見たいって言われれば出せますよっていう。ダイヤモンド富士のような凝った写真も撮らないわけではないけど、人気の撮影スポットにはまず行かないですね。人が集まる場所で撮りたくないので。
刻一刻と表情を変えていくその姿はずっと眺めていても飽きない(写真提供/大宮仁)
そう言いつつも、最高傑作の一つとして披露くださったのは冒頭に掲載した見事な赤富士。単なる偶然ではまず撮れない、富士山ウォッチャーならではのショットだ。
大宮さん
自宅の近所にある、カインズ富士吉田店からも富士山はよく見えますよ。コンディションによってはいい写真も撮れるんじゃないですか?
カインズ富士吉田店からの眺め。かなりくっきり!(写真提供/大宮仁)
もっともメジャーな雪形として知られる農鳥(写真提供/大宮仁)
デジカメ撮影とならび、大宮さんが長年注力していることがある。「雪形」のアピールだ。
雪形とは、富士山の残雪が形作る動物や人の形状のこと。雪が降り始める10月頃から雪が消える翌年7月の間には多くの雪形が現れては消えていく。これを観光客が大幅に低迷する冬シーズンの風物詩にしようと、広報活動に勤しんでいるのだ。
大宮さん
ほぼ毎年、8合目付近に現れる農鳥は田植えの時期を告げる雪形として地元の人に親しまれてきました。その他に、私が見つけて名付けた雪形も40個ほどあります。
「走っている人に見える雪形がある」と知人から報告を受けて大宮さんが発見したランナー。Twitterで紹介すると「確かに見える!」と反響があった(写真提供/大宮仁)
雪形はその年の降雪量によって見え方も変わってくるという。その儚さがいいのかも知れない。写真はネットで話題になったクマさん(写真提供/大宮仁)
集めた関連書籍はざっと3000冊ほど。むろん、これはほんの一部でしかない(写真提供/大宮仁)
ところで、古今東西のコレクターを悩ませる2大懸案事項といえば、「保管場所」と「家族の理解」と相場が決まっている。膨大すぎる富士山コレクションを大宮さんはどこに保管し、彼の家族はいったいどう思っているのだろうか。
大宮さん
ウチは二世帯住宅でして、私たち夫婦が住んでいる家の2階が私専用になっているのでまだなんとか収納はできています。富士山の絵が描かれた段ボール箱なんかもいっぱいあるんですが全部折りたたんでしまってますし。家族の理解は……どうなんでしょう。妻は正直そこまで賛成していないのかもしれませんけど(笑)、孫が「こんなのあったよ」とポスターとか持ってきてくれたりするので、まぁいいんじゃないでしょうか。
JRのオレンジカードは、もはや存在自体がレアなアイテム(写真提供/大宮仁)
インタビューの最後に、今後の展望を聞いてみた。
大宮さん
もう70歳を超えているので、自分から積極的に集めるのはやめているんです。その代わり、もっと情報発信をしていきたいと思っています。2021年明けの1月には、富士吉田市内にある御師旧外川家住宅という日本家屋で登山道別の写真の展覧会を開く予定ですし、自分のホームページ「富士みずほ通信」もリニューアルさせたいですね。
大宮さん
富士山はいつも見ていましたが、それほど関心はありませんでしたね。見慣れた風景というか。