窓やサッシの結露・カビ対策に! 窓を知りつくすプロ「YKK AP」がコツを伝授
リンクをコピーしました
目次/ INDEX
サッポロビールといえば、星のマークを想起する人が多いのではないでしょうか?
サッポロビール博物館の建物をみても、下の写真だけで8つの星が確認できるほどのこだわりっぷりです。
サッポロビール博物館の外観。赤い星が随所に配置されている。写真提供:サッポロビール株式会社
そもそもサッポロビールは、いつから、なぜ、星のマークを使うようになったのでしょうか?
サッポロビール株式会社マーケティング本部ビール&RTD事業部の市川昇平さんに、サッポロビールの星にまつわるエピソードや、新商品に関する裏話などを聞いてみました。
サッポロビール株式会社 マーケティング本部ビール&RTD事業部 市川昇平さん
明治時代に北海道開拓使が使用していた「北辰旗」という旗に描かれた五稜星に由来します。船乗りが航海の道標にする北極星や、五稜郭などがデザインの元になったと聞いています。
へ?
当時、五稜星は開拓使のシンボルマークでした。札幌市時計台をよく見てみてください。赤い星のマークがあります。あれが五稜星です。
北海道庁旧本庁舎の建物にもありますし、北海道の道旗・道章にも使われているんです。
札幌市時計台にも赤い星がある。写真提供:サッポロビール株式会社
サッポロビールが五稜星をモチーフとして星のデザインを使いはじめたのは、1877年8月の第1回内国勧業博覧会への出品時。ないしは、同年9月からの東京での払い下げ開始時と推定されます。
ふわっとした理由じゃなくて、社名のルーツは、本当に北海道にあったんですね。
はい。明治維新後の1869年、明治2年ですね、新政府が北海道に「開拓使」を設置して、砂糖や農具などの製造工場を作りました。そのなかに、ビールを醸造するための工場もあって、中川清兵衛という人物が中心になり、1876年に開拓使麦酒醸造所を完成させます。彼は初めてビール醸造技術をドイツで修得してきた日本人でした。
そして、札幌の開拓使麦酒醸造所で最初に醸造されたビールは、冷製札幌ビールとして1877年に東京で発売開始されます。そのラベルに描かれた五稜星、これがサッポロビールのシンボルとなっていると伝わっています。
会社の名前もここに由来があります。ただ、現在のサッポロビールという名前になるまでには、歴史的な変遷が何度かありました。
すっごいしゃべりますね。その話、大河ドラマなみに長くなりますか?
はい! 歴史上の有名人も出てきますよ。いま話題の渋沢栄一とか。
渋沢栄一はカインズ創業者と同郷なので、聞くしかなさそうです。
ですよね? まず、1882年に開拓使が廃止され、開拓使麦酒醸造所は、農商務省北海道事業管理局の所管になります。そして、札幌麦酒醸造所と名称変更されました。
その後、北海道庁が新設されて、所管工場を民間へ払い下げます。その払い下げを受けたのが、あの大倉喜八郎だったんです!
盛り上がってますけど、誰です?
大倉喜八郎は、鹿鳴館、帝国ホテル、大成建設などを設立した大物実業家です! 彼が1886年に札幌麦酒醸造所を民営化した際、大倉組札幌麦酒醸造場と改称しました。
しかし、その翌年、大倉喜八郎は、渋沢栄一や浅野総一郎らに事業譲渡しちゃいます。
また知らない名前出てきた。浅野総一郎?
太平洋セメント、東亜建設工業などを設立した大物実業家ですね。セメント王と呼ばれています! あとでウィキペディアを見てください。
1887年12月、大倉喜八郎も経営に参加する形で、渋沢栄一、浅野総一郎らによって、新会社「札幌麦酒会社」が設立されます。
ということで、醸造組織の名前に「札幌麦酒」がついた始まりは1882年。そして、醸造場所を想起させる醸造所や醸造場がつかない、民間会社の組織名としての「札幌麦酒」の名称になったのは1887年の札幌麦酒会社からとなります。
由来はわかりました。でも、必要以上の情報量で、逆に疑問がわいたのですが、今はカタカナの「サッポロビール」ですよね? いつ漢字(札幌麦酒)じゃなくなったのでしょう?
気付いちゃいました? 札幌麦酒会社はその後、大日本麦酒株式会社、日本麦酒株式会社を経て、1964年1月にサッポロビール株式会社になりました。その経緯は、ヱビスビールも絡んでくるので、省略させてください。
むしろ、ヱビスビール大好きなので、聞かせてください。
しかたないですね!
よろこんでません?
サッポロビールの商品に描かれている星のマーク。あれは、いつから使ってるか教えてくれますか?