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「軟式globe」パークマンサーがキムタクに憧れ、農家に転身したアホ哲学

クリエイター

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パークマンサー

パークマンサー

農家・アーティスト。音楽ユニット「軟式globe」のラップ担当。2020年より富山県で農業を本格的に開始。その様子はYoutubeチャンネル「ParcTV」で随時配信中。TikTokも話題となっている。

農家になった、軟式globeパークマンサー

木村拓哉になりたかったパークマンサー

「僕、木村拓哉になりたかったんです」

そう語るのは、軟式globeのパークマンサーさん。2002年、人気バラエティ番組『学校へ行こう!』に出演し一世を風靡。globeの名曲『Love again』のメロディーにのせて掛け合う「アホだな~」「そうだよアホだよ♪」のフレーズは、当時の若者の間で大流行した。

彼は今、地元の富山県で農業を営みながら、畑から「そうだよアホだよ♪」とつぶやいている。

最後の番組出演から18年。その間は、役者として月9ドラマ出演、仕事がなくなりヒモ生活、プロポーズした恋人との別れ、そして農業との出合い…。ジェットコースターのような紆余曲折の人生を歩んできたパークマンサーさんに、転機となった過去の出来事や、現在の農業について語ってもらった。偶然と失敗に導かれるようなユニークな生き様には、先の見えない時代を楽しむヒントが詰まっている。

「軟式globe パークマンサー」が大嫌いだった

パークマンサーさんの宣材写真

パークマンサーさんの宣材写真

音楽ユニット「軟式globe」ではラップ担当だが、そもそもはダンサーだったというパークマンサーさん。小学生の時にダンスを始め、上京後は近所にあったという理由でダンススクールに飛び込む。そこで出会ったダンスの師匠がEXILEのHIROさんの弟分であり芸能事務所LDHの立ち上げメンバーだったことから、ふと気づけばLDHに所属していたのだという。

「初期のLDHに所属していた僕はダンサーでした。軟式globeで組む初代KOIKEは、もともと僕のバックダンサーだったんですよ。たまたま2人で、『学校へ行こう!』のラッパー発掘企画のオーディションに行ったら、受かってしまって。気づいたら僕が彼女のバックでラップしてました」と当時を振り返る。

パークマンサーはその強烈なキャラクターで大ブレイク。お茶の間の人気者に。そのままスターダムへと登り詰めるかと思いきや、『学校へ行こう!』放送終了以降はキャラクターを封印。役者の道へと進むことに。

「僕、月9に3年連続で出演していたんですよ。ご存じないですか? 『リッチマン、プアウーマン』、『SUMMER NUDE』、『失恋ショコラティエ』。『SUMMER NUDE』の1話目に登場したときの役は山Pの隣の家の住人。遠目すぎてわからないかもしれないけど、隣にパークが住んでると思いながら観ると妙に面白くないですか。ぜひもう一度観直してみてください(笑)」

役者としてのパークマンサーは、出演作は華々しいもののセリフは多くても5行くらい。木村拓哉のようになりたい自分と、パークマンサーというキャラクターのギャップに苦しんだそうだ。

「SMAPさんって歌って、踊って、芝居して、面白いこともやっていたじゃないですか。僕はダンサーになりたいとか、役者になりたいとかじゃなくて、キムタクになりたかった。だから芝居でもキムタクみたいな演技をするわけです。でも周りから求められていたのは違って、パークの時みたいな爆発力はどこに行ったの?って。同じ人間なのになんで評価されないんだって、あの頃は“パークマンサー”が大嫌いでしたね」

「学校へ行こう!」出演時、楽屋にて

「学校へ行こう!」出演時、楽屋での一コマ

そうして俳優業も徐々に縮小。収入が途絶えて家なき子となり、ヒモ生活に陥った時期もあったが、再び転機が訪れることに。

『学校へ行こう!2015』が放映され、過去のVTRが流れたことから再ブレイク。ツイッターのフォロワー数も増え、イベント出演などの営業仕事がひっきりなし。収入は激増し、悠々自適な暮らしができるようになったのだ。

とはいえ、ここから順風満帆! とはいかないのがパークマンサーさんの人生。この出来事が引き金となって、農業と運命の出合いを果たすことになる。

半分馬だし、世界一のニンジンを作ると決めたパークマンサー

パークマンサーさんの畑

パークマンサーさんの畑。背景には雄大な立山連峰が望む。

再ブレイクからヒモ生活を脱却して、初めてのお金持ち生活を経験したパークマンサーさん。しかし、仕事は徐々に減っていき、お金のないプレッシャーに追い詰められていく。終いにはプロポーズした彼女にも逃げられてしまう。

「この時期は、完全にダークサイドに入っていました。ずっと闇です。毎日、韓流ドラマを観ては、心だけ泣いたり笑ったりして。でも、体は動かない。ワケがわからなくなって、このままじゃダメだなって」

どん底まで落ちたパークマンサーさんが向かったのは、なぜか陶芸教室。以前のダンススクールと一緒で「家の近所にあった」という単純な理由だった。しかし、この選択が闇から這い出るきっかけになった。無心でお皿を作っていると、ふとアイデアが浮かんできたそうだ。

「あまりに不格好な皿が出来上がって自分には陶芸の才能がないとわかりました。けど、じゃあこの皿の上に載せるものを作ったら面白いんじゃないかって。野菜とかいいかも。あ、そういえば5歳まで馬に育てられたし、あの時に食べたニンジンの味が忘れられないなって

自ら歌っていた「5歳まで馬に育てられた 半分馬だよアホだよ♪」を思い出し、世界一のニンジンを作ろうと一念発起。そんな時に友人が祖母の家と畑を貸してくれる偶然も重なった。知識ゼロからのスタートだったが、野菜づくりにのめり込むことに。

「農業って美しい皿を作るような才能は要らないんですよ。極論、種をまいて水をやれば育つ!(笑) それこそニンジンって発芽させれば8割方成功なんです。ポイントは芽が出るまで常に湿らせておくこと。

環境さえ整えれば自然の力に任せればいいし、そういうのがわかってくると楽しい。ただ、その環境を整えるのが難しいんですけどね(笑)。僕は無農薬・化学肥料不使用の農法でやってるんですけど、家庭菜園だったら化学肥料を使ってもいいと思うんです。そんなに難しく考えずとも出来ちゃう。僕も最初は教科書どおりに、1cm間隔を測って種を植えたりしていたけど、そんなのキリがない。ぶわーっと大量にまいて間引けばいいって最近気づきました。適当でいいんですよね(笑)

そうした自然体でいられる農業にすっかりはまったパークマンサーさんは、2020年から地元の富山県に戻り、本格的に農業を営んでいる。偶然が噛み合って、ロケーションに惚れ込んだ畑を貸してもらえたり、手伝ってくれる仲間も増え、本気モードに変わっていったそう。野菜を育てる過程はすべてYouTubeの動画にもアップされているが、とにかく無心になれる作業が楽しいという。

「耕してふかふかになった土の上に寝っ転がって、眼前の立山連峰を見ると、なにこれ天国じゃん!って毎回思っちゃう。ほかにも、去年の夏も畑仕事が終わって、クーラーボックスに入れておいた氷が溶けた水を飲んだ瞬間、このうまい飲み物何!? って。その味を知ってしまったら昔には戻れないなぁって思いますよ。僕、高級なシャンパンが好きだったはずなんですけどね(笑)」

失敗しても「それがどうしたアホだよ♪」って忘れるパークマンサー

農作業をするときの必須道具

農作業をするときの必須道具。カインズではない、ホームセンターで買っている。

現在のパークマンサーさんの畑は6.5反、田んぼが2反。そこにスイカ、かぼちゃ、えごま、アスパラガス、玉ねぎ、ニンニク(スペイン語でニンニクは「アホ」)、ニンジン、パクチーなど。おおよそ13種類ほどの野菜や米を栽培しているが、いつも失敗だらけと笑い飛ばす。

「去年は畑に大雪が積もってニンジンが収穫できなくて。やべぇどうしようと調べてみたら、雪の下で越冬させる雪中ニンジンの存在を知って。なんだよ~、わざとやったんだよって発想の転換で乗り越えました(笑)。

そんな風に、失敗に価値を見出すのが面白いんですよ! 知り合いの圃場見学させて頂いた時、枝分かれしてしまい市場に出荷できないニンジンをグローブニンジンって呼んでるのを聞いて。グローブ……、globe? パークマンサーにとってはそっちの方がおいしいじゃんって(笑)」

先が枝分かれしたグローブニンジン

先が枝分かれしたグローブニンジンも人気商品。

失敗も笑いに転化しながら暮らしていくと、やりたいことが尽きないというパークマンサーさん。その原動力になっているのは、やってみないとわからないという気持ちなんだとか。

「人がいかないスキマにチャンスがあると思ってるんですよね。失敗して凹むかもしれないけど、雪中ニンジンみたいに抜け道があるかもしれない。ダメだったら、それがどうしたアホだよ♪って忘れる。常に失敗だらけだし、すげー人間じゃないし、むしろ半分馬だし。でも自分が選択したことは絶対に人のせいにしないってことは決めてます!」

『アホだな♪』を観て、パークマンサーが作るおいしい野菜も買ってほしい

えごまを収穫したときの様子

えごまを収穫したときの様子

パークマンサーさんの農家としての直近の目標は八百屋を作ること。「せっかくおいしいものを作ったら食べてもらいたい」と、幅広い層に野菜を届けるべく野菜の価格を下げるために生産量を増やしているそう。また、移動販売も計画中だ。

「荷台にステージを作って、僕ごと移動する八百屋をやりたい。ただ予算が足りないんで手作りリヤカーから始めようかと(笑)。少し前まではただ野菜を作って、農家として日本一になりたいと思っていたんです。でも考え方もやりたいこともどんどん変わるタイプの人間なので、今はエンタメが必要なんじゃないかって。『アホだな♪』を生で観られて、おいしい野菜も食べられて、トータルで楽しめる方がいいよなって」

そんな心境の変化があったのはコロナ禍。封印していた『アホだな♪』を武器にしてTikTokで発信を始めたのも、ステイホームが叫ばれた時期に、悩んでいる人たちのガス抜きになればという思いからだったそう。

「いいこと、悪いこと、本当にいろいろあったけど、あらゆることが糧になって今につながっているし、パークマンサーになれて良かったと思う。これからも何が起こるかわからないけど、『それがどうしたアホだよ♪』って乗り切れればと思っています」

そうして今を目一杯楽しむパークマンサーさんだが、最後に野望を語った。「これから世界に向けて『アホだな♪』のちょっと違う見せ方をTikTokで発信するつもりです」とのこと。なんとも楽しみな今後の動向も見守っていきたい。

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