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小さい庭で作るスイカ畑

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竹内亮

竹内亮

1973年、茨城県日立市生まれ。弁護士・弁理士。主な仕事は相続法、著作権法、ツイキャスを運営するモイ株式会社の社外監査役、大東文化大学・聖心女子大学の非常勤講師など。著書『自分で書く「シンプル遺言」簡単なのに、効力抜群!』(講談社)。2011年から短歌を始めて、塔短歌会会員。第1歌集『タルト・タタンと炭酸水』(書肆侃侃房)。プロフィール写真は写真家阿部萌子さん。

「園芸を語りだしたら止まらない」は、緑を愛する人々がその情熱を爆発させる企画です。観葉植物、お花の飾り方、ハーブ栽培からガチ家庭菜園まで、バラエティ豊かな園芸話に耳を傾けてみませんか。

園芸を語りだしたら止まらないのロゴ

ねこたちが見る庭

杉並区の住宅街に住んでいる。家の前に2m×5mの庭がある。小さめの車1台の駐車場分くらいのスペースで、もし車を持っていたら駐車場にしたのだろうけれど車はなく、住み始めて何年か雑草が茂っていた。

ここに住み始めたのは20年くらい前で、わたしはその頃勤めていた会社を辞めて、弁護士になろうと当時できた法科大学院に行き始めた。家族は妻とねこが5匹。ねこは最初に妻が雄と雌を飼い始めて、その2匹の間に子ねこが4匹生まれた。そのねこの家族をわたしは「ねこ一族」と呼んでいる。ねこ一族はずっと6匹だったのだけれど、おととし、クリーム色のお父さんねこが14歳で亡くなった。

AMラジオと庭づくり

住み始めて何年か、庭への関心はほとんどなくて、茂っていた雑草は夏になると腰の高さくらいになった。わたしは何回か夏の終わりに草を取った。抜き取った草は45Lの燃えるゴミの袋に入れてゴミに出していたのだけれど、ある年は10袋になった。そのときに可燃ゴミは1度に1世帯3袋までしか出せないというルールがあることを知って、清掃センターに電話して個別収集を依頼したりした。

この草取りが後の庭づくりと畑につながる。草を取ること自体がとても楽しかった。AMラジオを聴きながら草を取るのが楽しかったからだと思う。その頃、ちょうどラジオが聴けるアプリ「radiko」が始まった頃で、わたしは土曜日午後のTBSラジオの「久米宏のラジオなんですけど」と同じ日の夜の札幌のSTVラジオの「藤岡みなみのおささらナイト」をよく聴いていた。

日曜日の午後に2、3時間、ラジオを聴きながら軍手をして草を取るのは、なんだかとても落ち着く時間だった。

草を定期的に取るようになった頃、ドクダミが繁茂していて、その根を取らなくてはいけないと思い、庭を10から20㎝くらい掘ってみた。土は粘土のようで大小の石が混じり、20㎝くらい掘ると、たくさんのコンクリート片やガラスの破片が出てきた。いまの家の前に建っていた建物を解体したときのガラのようだった。それから開墾するような気持ちで大小の石やコンクリート片、ガラスの破片を取り除き始めた。

すこしよいタネを買う

それまで軍手をして、片手で持つような小さいスコップひとつで草を取っていたのだけれど、両手で持つ大きなスコップと直系30㎝くらいの篩いを買った。ガラを少しずつ取り始めた。30cmくらいの深さまで掘って大きなガラを取り除き、篩で大きい石や小さい破片を取っていった。

ガラは無数にあった。石や錆びた針金もたくさん出てきて、土は粘り気のある土であまりいい土ではないように思えたけれど、ラジオを聴きながら土を掘っていること自体が楽しくて、1年くらいそれをしていたと思う。

それからも時々草を取ったり土を篩にかけたりして、少しずつ土の中の異物を取り除いていった。あるとき、何か植えてみようと思った。最初に向日葵を植えた。

このとき、スーパーで売っているタネではなくて、サカタのタネの少し高価なタネを買った。そのせいかはわからないけれど、立派な向日葵畑ができた。

最初の頃の夏の庭の向日葵畑

最初の頃の夏の庭の向日葵畑

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