転勤族の夫とともに、全国を転々としている。現在は東京の片隅で書店員として勤務。今年、『書店員は見た 本屋さんで起こる小さなドラマ』を上梓した。

大型犬が転勤族の家の前に捨てられていた……!
捨て犬を家族に迎え、少しずつ形を変えていく家族の日々。
森田めぐみさんと、愛犬・レイルくんとの10年を振り返っていきます。毎月第2・第4水曜日更新
目次
- ご飯が食べられなくなった、愛犬・レイル
- 薬すら食べられなくなった愛犬・レイルが唯一食べれたもの
- 愛犬・レイルの様子が何か違う
ご飯が食べられなくなった、愛犬・レイル
最後の日は、唐突にやってきた。
いや、もちろんやって来るとは思っていたし、余命さえ告げられている状況ではあるが、まだまだ先な気がしていたのだ。
1週間前から、レイルはごはんが食べられなくなってきていた。
カリカリをふやかしたものはダメ、缶詰などのウエットのフードも食べない。
鶏の胸肉やササミを茹でたものは小さくすると食べたので、数日はそれだけ食べていた。
そしてとうとう、鶏肉も食べなくなり、ブレンダーでペーストにして与えていたが、それもまた食べなくなり……。
そして、薬については、何をどうしても飲まなくなってしまった。
食べ物を飲み込む、嚥下(えんげ)機能が著しく衰えて、固形物を飲み下すことが出来ないのだ。
砕いてフードに混ぜたり、水に溶かしてスポイトで口に入れたりと、いろいろ試したけれど全部失敗。
薬すら食べられなくなった愛犬・レイルが唯一食べれたもの
薬を諦めるということは、治療を断つということ。
レイルにとっては、この1年半、1日に2回飲み続けたごく小さな心臓の薬が命綱である。
どうしてもやめさせるわけにはいかないと、無理矢理口を開けて喉の奥に薬を突っ込む。レイルが飲めずに吐き出したその薬を、また喉の奥へ。
頑なに口を開けなくなったレイルと格闘の末、薬はボロボロに溶け、床に散らばり、私は泣きながらレイルを叱った。
「飲まないと死んじゃうんだよ!!」
床をバンバン叩きながら泣く私を、レイルは困り顔で見つめる。
泣きながら相談した私に、夫は言った。
「もう、やめよう」
実は私たちは、レイルの先代のニコリのときにも、まったく同じやり取りをした。
投薬を諦めることにした私たちに、医師は「薬をやめると、もってたぶん2週間くらい」と告げ、そしてちょうど2週間で二コリは旅立ったのである。
夫は言う。
「薬をやめたあと、ニコリは穏やかに過ごせたでしょ。もう、無理にどうにかする時期は終わったんだよ」
しかし、ニコリはごはんが食べられたのだ。2週間、美味しいものをたくさん食べさせることができたじゃない。レイルは、なんにも食べられないのよ!
絶望に支配された私だったが、ちゅ〜るだけは食べられることがわかった。
ありがとう、ちゅ〜る! 噂で君の威力は聞いていたけど、おかげでまだ大丈夫!
おやつ用ではなく、総合栄養食の大容量パックを買い込む。
裏面を読むと、食事量の説明として、"10キロの犬に対して1日42本"と記載されている。
少し痩せたとはいえ、レイルは30キロ台後半だろうか……。え、この4倍近く?
食欲が落ちてきていたものの、レイルはその日50本を超える量を食べた。
あ、まだ大丈夫。いける。
大容量パックを見つけては買う。
このペースだと1日で2袋を食べ切ってしまう計算だ。多めに買ってストックしておかないと。
愛犬・レイルの様子が何か違う
それから数日、レイルは順調に大容量パックを消費していたのだが、ある夜、急に様子がおかしくなった。
その日は60本あまりのちゅ〜るを食べたのだが、最後の1本を食べながら微妙な表情をしている。
「なんかもうあんまり食欲ないんだけど、せっかくくれたから……」という顔。
食べすぎたのかな? と私は気楽に考えた。
さぁ寝ましょうかというとき、普段はリビングのラグの上で寝そべっているレイルが、私の後追いをして何かを伝えようとしている。
息が荒いが、病気になってから、特にこの1週間はずっと呼吸が激しかったので、さほど気にしていなかった。
いや、でも何かがおかしい。
レイルは荒い呼吸で、変わらずに私を見上げている。
とりあえずトイレに連れて行き、おやつをあげ、いつものように水を飲んだが、それでも、レイルは私を見上げて何かを訴えていた。
レイルの体調が悪化してから、私はリビングで寝起きしている。
レイルは寝室のある2階へ上がることが出来ないので、余命を宣告されたときに「いざというときはいつでもリビングで寝られるようにしよう」と夫と相談して、ソファを捨て、手作りの簡易ベッドを置いたのだ。
ベッドに横になり、レイルにも「もう寝よう」と促すと、レイルはベッドの下に横たわる。
と思ったら、ガバッと立ち上がった。
あれ……?
起き上がり、様子を見ていると、同じ仕草を何度も繰り返す。
レイルは、横になれない。
肺水腫だ。
レイルが病気になってから、何度も検索した病名が頭をよぎった。
肺に水が溜まると、溺れているのと同じ状態になり、横になると息が出来ないために、立ち続けるしかなくなると聞いている。
レイルは、血管肉腫という病気が原因で、心臓や肺に水が溜まりやすい。
最初の頃は何度か病院で水を抜いてもらったのだが、処方してもらった心不全の治療薬と相性が良かったらしく、最近まで水はたまっていなかった。
つまり、薬も効かない段階がやってきてしまったということである。
レイルはたぶん、あと少しでいなくなってしまう。
すでに真夜中だが、単身赴任中の夫に電話をかけ、寝ぼけ声の夫に、明日どうにか帰って来られないかと打診する。単身赴任とはいえ、とても近い場所に住んでいるのだ。
仕事柄、行動が制限されている夫からは「現段階ではわからない。調整してみる」という答えが返ってきた。
相変わらず、レイルが立ったまま荒い息でこちらを見ている。
たまらず抱きしめるが、それ以外に私に出来ることは何もなかった。
狭いリビングを落ち着かずにぐるぐる歩き回るレイルを見て、気を紛らわせようと玄関のドアを開けてみる。するとレイルはまっすぐ外へ歩き出し、家のすぐそばの空き地へ向かっていった。私が“散歩”と呼んでいる短い道のりだ。
ふらふらと歩き回るレイルの向こう側では、満開のカシワバアジサイが月明かりに照らされ、怪しげに光っていた。
白い光に圧倒され、レイルに「お花、光ってるね」と話しかけるも、私の声が届いていないのか、ゼーゼーと肩で息をしながら立ち尽くしている。
私がそっと頭を撫で、「お家に戻ろう」と話しかけると、レイルはハッとこちらを見つめ、家に引き返した。
長い夜の始まりだった。

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