転勤族の夫とともに、全国を転々としている。現在は東京の片隅で書店員として勤務。今年、『書店員は見た 本屋さんで起こる小さなドラマ』を上梓した。

レイルがいなくなって1ヶ月ちょっと。
これから永遠に泣き暮らすだろうと思っていたのに、早くも少しずつ落ち着いてきている自分を感じる。
もちろん悲しいし、しょっちゅう泣くのだが、その頻度は確実に減ってきているし、レイルが使っていたものの整理も少しずつ出来るようになってきたのだ。
目次
- 娘の「もう我慢ならん」が、私を現実に戻した
- 四十九日が、ひとつの区切りだった
娘の「もう我慢ならん」が、私を現実に戻した
実は、レイルがいなくなったばかりの頃、ラグマットの掃除が出来ずに放置していた私(だって、ラグにレイルの毛がついているわけじゃないですか。それを掃除して捨てるなんて出来ないし、とはいえレイルの毛だけでなく4匹の猫たちの毛もたくさん付いているから掃除した毛をまんま取っておくのも変なわけで……)を、「もう我慢ならん」と一喝して大掃除をしたのは娘だった。
その時こそ、なんてことをするのだと思ったのだが、それは結果として、とても良かった。
その後の掃除や片づけの時、「まぁ、あの時ほとんど娘が捨てたしな……」と思うと、諦めがついて、思い切りよく整理できるのだ。
娘がいなければ、私は今ごろゴミ屋敷に住んでいた可能性が高い。
四十九日のころになると、だいぶ冷静さを取り戻した私は、昔の人ってすごいわ……と思ったりしていた。
だって、ちょうどそのくらいの時間経過で、やっと悲しみのどん底から抜け出せたのだから!
仏教においての四十九日は、魂が極楽浄土へ行けるか決まる大切な日なわけだけども、その日数は、遺された人々の気持ちを落ち着けるために与えられた期間でもあるのかもしれない。
ちなみに、レイルは間違いなく極楽浄土行きなので、そのへんの心配は全くしていない。「来世への切符をもらえたら、どんな形でも良いから、また私の家族になってね」と願うだけだ。
四十九日が、ひとつの区切りだった
さて、レイルの四十九日は、家族で食事をして、骨壷を箱にしまうことにした。
お骨は、葬儀をお願いしたお寺に納骨することも出来たのだが、実は我が家、先代のニコリのお骨を自宅に置いている。ニコリのお骨は家にいるのに、レイルを納骨するわけにもいかず、2頭並んでリビングにいてもらうこととした。
夫が骨壷を入れる箱を作って、私がペンキを塗る。
「そういえば、ニコリの時は、気に入っていた絨毯を切って箱に敷いたよね?」と夫が言い出し、ニコリのお骨の箱を覗くと、確かに骨壷の下に絨毯が敷かれていたので、レイルも同じようにする。
リビングで、レイルがいつも寝ていたラグの端に裁ち鋏を入れ、四角く切り取った。
レイルの骨壷は、ニコリのものよりひと回り大きく、並べると一際存在感を放っている。
「もう泣くこともほとんどなくなった」と言ったばかりの私が、並んだお骨を見て泣き出し、子どもたちは「どの口が」「さっき言ったことは何だったのか」と、呆れ顔で笑い、仕方ないとばかりに夫が私の頭を撫でた。
レイルがいなくなっても、当たり前に日々は続き、私たちの気持ちも形を少しずつ変えていく。
レイルがいない生活に慣れることなんてありえないと思っていたのに、たったの1ヶ月半で気持ちが落ち着いてきた自分を薄情だとも思うし、同時に、それが生きているということなのかもしれないな、とも思う。
毎日、「あぁ、会いたいな」と思うけれど、あれからずっとスイッチが入りっぱなしだった、”圧倒的悲しみモード”から”冷静モード”に切り替えるスイッチを、知らず知らずのうちに私は見つけたのかもしれなかった。











