転勤族の夫とともに、全国を転々としている。現在は東京の片隅で書店員として勤務。今年、『書店員は見た 本屋さんで起こる小さなドラマ』を上梓した。

目次
- 夜を越えて、朝を待つ
- 家族がそろう時間
- 最後の眠りと、見送り
夜を越えて、朝を待つ
結局、レイルは立ったまま夜を明かした。
私は、撫でて励ましながら、何か出来ることがないのかスマホで検索をし続けたが、何時間探しても、広大なネットの海に明るい答えを見つけることは出来なかった。
やがて空が白みはじめ、レイルが何度目かのトイレのため玄関に向かう。
真夜中は、家のすぐそばで用を足していたレイルだが、また散歩コースを歩き出した。
まだ薄暗い道を、苦しそうに歩みをとめながら、それでもレイルは空き地まで歩いた。
これが最後の散歩になるかもしれない。
隣りを歩く私を見上げるレイルの顔は、苦しいはずなのに笑っていて、明け方の道路で私は声をあげて泣いた。
レイルははぁはぁと息をしながら、優しく私を見つめる。
通りかかった新聞屋さんがギョッとして見ていたが、構わず泣き続けた。
しゃくり上げながら、ほとんど歩けなくなったレイルを支えて家に戻り、一緒に水を飲む。レイルは嚥下機能が低下していて、もうほとんど飲み込めていないようだった。
明るくなった部屋で、立ち通しでクタクタになのにまた外に行きたがるレイルを、起きてきた子どもたちが連れ出していく。
「代わるから少し寝た方がいいよ」と娘は言うが、とても眠る気にはなれなかった。
静かになったリビングで、それでも少しウトウトしていると夫からメッセージが届く。
「仕事の調整が出来たから、今から帰るよ」
レイルは、夫のことが誰よりも好きだった。
レイルがここから回復するとは、とても思えない。ならば、最期にどうしても会わせてあげたいと思った。
家族がそろう時間
室内に戻ってきたレイルと子どもたちに、大きな声で伝える。
「べじ(夫のこと)、今帰って来るよ!」
朝から天気は急激に下り坂で、嵐のような雨と風。
時折り雷鳴が轟く中、夫は帰宅した。
荒い呼吸で、ヨレヨレになりながら、それでも尻尾を振って迎えるレイルと、リビングで数時間を過ごす。
夕方には戻らなければならないという夫が、私に「今夜も同じ状況なら体力が保たないから、少し寝た方がいい」と言うが、やはりどうしても寝る気にはなれない。
雨雲が通り過ぎたタイミングで、レイルはまた外に出たがった。
玄関の小さな段差さえも降りられなくなったレイルを支えて外に出し、ほんの数メートルを歩き、また雨粒が落ちてきたので室内に戻ることにした。
レイルはもうフラフラだった。
大病を患っているのに、14時間も呼吸困難のまま立ち通しなのだから当然だ。
私の中で「もうじゅうぶんだよ」という気持ちと、「ずっとレイルと一緒にいたい」という気持ちがせめぎ合う。
こんなに辛い思いをしているレイルを前にしてなお、それでも一緒にいたいと思う自分を、勝手な飼い主だと思うが、どうしてもその思いを頭から消し去ることが出来ず、涙が溢れる。
私は、まだ、いや、ずっと、レイルと一緒にいたい。
玄関のたたきに戻ったところで、レイルは崩れ落ちた。
後ろ脚の力が抜け、立つことが出来ない。
夫とふたりで抱えて玄関に上げると、レイルはそのまま横になり目を閉じようとしていた。

夫が涙声で「目、閉じるね」と言う。
「うん」
「たぶんもう、起きないよね」
そっと胸に触れると、先ほどまで早鐘のように打っていた心音が停まっている。
レイルは、いつもと同じ顔で寝ていた。
最後の眠りと、見送り
夫が「頑張った、よく頑張った」とレイルの頭を撫でる。私たちは、しばらく泣きながらただレイルの体を撫でた。
レイルは、今にもいびきをかきそうな顔でそこに横たわっている。
その後、子どもたちも加わり、レイルの体を拭いて、念入りにブラッシングをした。
私は、葬儀をお願いすべく、ペットの供養をしてくださるお寺に電話をかける。
余命宣告を受けてから、1年半あまり。
そのあたりのことを調べる時間はたっぷりあったし、家族で葬儀の方法についても事前に話し合っていたのだ。
本当なら、レイルにはあと1日くらい家で過ごしてほしかったのだが、夫は夕方には帰ってしまう。それであれば、家族揃って納棺と見送りをしたいと考えた。
お迎えの車が15時頃までに来るというので、あわてて準備をする。
レイルの棺には何を入れる? 大好きなおやつと、あとはそう、バゲット!
レイルはバゲットが大好物で、食卓にのぼるたびに食べたくて大騒ぎしていたのだ。
近所のパン屋で美味しいバゲットをたくさん買って来ることにした。
お迎えの車が来るから、大家さんやご近所のかたにもお知らせだけしておこう。
はたして納棺の時には、我が家の小さな部屋にお別れを告げに来てくれたご近所さんや大家さんが加わり、賑やかに見送ることが出来た。
大好きだったお隣さん親子と大家さんが涙を流しながら撫でてくれて、レイルの顔はちょっと笑っているようにも見える。
夫と息子に抱えられ、棺に入ったレイル。おやつと、バゲットが入った紙袋を添えて、ツヤツヤになった毛並みに触れた夫が、人目も憚らずボロボロと泣く。
棺を乗せた車が、出発する。
午前中の天気が嘘のように、晴れ間がのぞき、5月らしい爽やかな風が吹いていた。
車が見えなくなるまで、誰も喋らず、鼻をすする音だけが聞こえている。
家族と離れて、レイルがどこかに行くのはこれが初めてのことだな……と、私は考えていた。










