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ペットのこころと体の両面を癒す医療を目指し、動物医療グリーフケアを構築。「待合室診療」という新しい臨床を発掘、全国の動物病院で実践している。
「ペットロスになるのが怖い」「ペットロスから立ち直れない」これは、私たち飼い主が抱える共通の悩みではないでしょうか。でも実は、ペットロスの飼い主さんの心までケアしてくれる新しい動物医療があるのを知っていますか?今日は、全てのドッグオーナーにぜひ知って欲しい、飼い主と愛犬に寄り添う医療「グリーフケア」について、その第一人者である阿部美奈子先生にお話を伺いました。
目次
- グリーフって何?私と愛犬にとってのグリーフを知ろう
- グリーフケアとは?ペットロスは生前から始まっている!
- 動物病院で行うグリーフケアの「待合診療」とは
- グリーフを抱えたら?愛犬と飼い主の幸せを最優先
- ペットロスと恐れず向き合うために
グリーフって何?私と愛犬にとってのグリーフを知ろう
―グリーフとは何のことを指すのでしょうか?
自分が、大切にしている対象を「喪失する」あるいは、「喪失するかもしれない」という局面で心と体が示す反応のことを「グリーフ」と呼んでいます。大切にしているものは人それぞれですが、例えば愛犬家にとっては、自分が当たり前のように毎日続けてきた「愛犬との日常」もその一つ。ですので、ペットロスだけでなく、愛犬が病気になったときに、飼い主が愛犬の健康を喪失する、あるいは喪失するかもしれないと想像することも一つのグリーフですし、死別で愛犬の存在を喪失することは、より大きなグリーフとなります。
―グリーフは、飼い主(人間)だけに起きるものですか?
いいえ、グリーフは飼い主だけでなく、動物たちも抱えるものです。ペットとして生きる犬たちにも、大好きな家族や、動物の仲間、安全なテリトリー、食べる・寝るといった動物としての尊厳があります。また、飼い主さんとの毎日のコミュニケーションは、犬たちにとってもかけがえのない宝物です。犬たちも、これらを喪失する、するかもしれないと恐れることが、グリーフになります。
グリーフケアとは?ペットロスは生前から始まっている!
―グリーフケアとはどういう医療ですか?
誰かの抱えるグリーフ(喪失感)に寄り添い、カウンセリングをしていくのが「グリーフケア」です。私が動物領域のグリーフケアを立ち上げたのは今から16年前。日本でその名前が知られるようになってきたのは、3.11の東日本大震災の頃からですね。
グリーフケアを始めたきっかけは、ペットロスについてもっと深く知りたいと思い、勉強したことです。まずは人間の領域でカウンセリングを学んだところ、人が「自分の病気が治らないかもしれない」と想像したときや、「自分の愛する人が亡くなってしまうかもしれない」と想像することで抱える喪失感をグリーフと呼ぶことを知りました。
―人間のグリーフケアを動物医療に応用されたんですね。
ペットロスも飼い主にとっては大きなグリーフであり、ペットが亡くなってからの話ではなく、亡くなることを想像したときから、すでに飼い主が抱えるものだと気が付いたんです。このように別れを想像して、喪失感を覚えることを、「予期グリーフ」と言います。私はまず、動物病院の診察方法に立ち返り、病院でこの予期グリーフに対処することはできないだろうか、と考えました。そして、グリーフケアの「待合診療」を始めることにしました。
動物病院で行うグリーフケアの「待合診療」とは
―阿部先生が行っている待合診療とは、どんなものですか?
簡単に言うと、待合室で順番が呼ばれる前の、飼い主さんとペットのグリーフに対応する診察です。例えば、犬は自分が病気だと理解はできませんし、病気だから病院にきているということも理解できません。でも病院に来た愛犬たちは、自分の名前を呼ぶ時の飼い主さんの明るい声や、楽しそうな表情を喪失します。さらに、本来動物は弱った時には自分の安全なテリトリーにいたい生き物です。ペットだから、病院に連れていきますが、安全なテリトリーを離れること自体、すでにその子にとっては安全な場所を喪失していることになります。
このように犬たちは、動物病院に行く時点で、いくつものグリーフを抱えているんです。そのグリーフをケアしないまま、急に診察室に連れて行き、体を触ったりすることを始めてしまうと、犬にとってはどんどんストレスが高まります。大きなストレスがかかることは、免疫力を下げることにも繋がります。
待合診療の様子
―待合診療の流れを教えてください。
まずは待合室にいる動物と飼い主さんたちの表情を見ます。グリーフを抱え始めると、自ずと人も動物もそれが表情や仕草に出ています。わんちゃんは特に顕著ですよね。緊張していると、震えたり飼い主さんのうしろに隠れたり、顔の表情も強張っていたり、多くの犬たちは体に力が入っています。そして、そういう子のとなりを見ると、ほとんどの場合、飼い主さんもとても緊張しているんです。
次に、声をかけます。私はまず動物に話しかけることが多いですね。「昨日の夜は眠れた?」「どうしたの?」などとペットに声をかけていくと、不思議と飼い主さんの緊張も和らいでいき「先生、実はこんなことがあったんですよ」とお話してくれます。少しずつ自分の不安を吐き出して飼い主さんがリラックスしていくと、傍にいるペットもだんだんといつもの様子に戻っていく飼い主さんを見て、グリーフが少しずつ解消されていきます。それから、症状や様子を伺って、一緒にアプローチ方法を考えていきます。もちろん、病状などがデリケートな内容であれば、一度診察の順番までの時間を確認してから、個室へ移動して、ゆっくりお話を伺うこともあります。
―犬と飼い主、双方の心をケアできるんですね。
私が待合診療のグリーフケアにおいて大事にしているのは、「三者間のコミュニケーション」です。「獣医師と飼い主」ではなく、「獣医師と動物と飼い主」。必ず動物を含めてコミュニケーションすることを心がけています。動物病院の診察室では、どうしても飼い主と獣医師のコミュニケーションに終始してしまう傾向があります。
病気の治療法がどんどん発展していく一方で、動物病院の診察室では人同士・病気目線での話ばかりが進んでいき、動物の目線の会話が置き去りになっているのではないか、と感じることがあります。本来であれば、病状に合わせる以前に、一頭一頭違う性格や個性を持ったペットたち自身に合わせて、どのように治療を進めていくのが最善かを考えることが大切なのです。あくまでも主役はペットであることを忘れないように、という思いから、最近では、獣医師や動物看護師、学生たちに向けた教育セミナーも積極的に行っています。
動物医療グリーフケアフォーラムInマレーシアで講演する阿部先生
グリーフを抱えたら?愛犬と飼い主の幸せを最優先
―もし愛犬が病気になったり、余命宣告されたらどう受け止めたらいいのでしょう
まず大切なのは、自分の不安を「グリーフ」として自覚できること。それが自然な心と体の作用だと知っているだけで、少し心に余裕を持つことができます。そして、愛犬たちにとってのホームを守ること。お家をただの箱としての「ハウス」ではなく、安心できるテリトリーとしての「ホーム」にして欲しいのです。これは、飼い主さんにしかできないことです。たとえ心配事があっても、飼い主さんがいつもの明るい声と表情で話しかけてくれなくなってしまうと、おうちは彼らの安心してくつろげる「ホーム」ではなくなってしまいます。そして、決して忘れてはいけないことがもう一つ。それは、歳をとっても、病気になっても、愛犬は「病気ちゃん」ではなく、「○○(愛犬の名前)ちゃん」だということです。
阿部先生と愛犬のスウィング(16歳9ヶ月)。スウィングは数ヶ月前に大病を患ったが奇跡の復活を遂げ、現在は目も見えないが、家中を自由に冒険して楽しい日々を送っているそう。
シニア犬だから、病気だから、あれができない、これもできないと、嘆く必要はありません。ただ、病気を持っているその子がいるだけ。犬たちは、自分が病気だと理解できないので、具合が悪くても、彼らなりに今日を懸命に生きようとしています。だから、飼い主さんも、その子が本当に嬉しいことや楽しいことを最優先に考えてあげていいのです。
例えば、愛犬の痛みや苦しみを和らげてくれる治療法なら、前向きにトライしていいと思います。けれど、愛犬が苦しそうで辛そうなのに、大量に薬を投与してまで治療したり延命させることは、その子と飼い主さんにとって、本当に幸せなことなのでしょうか。
ペットロスと恐れず向き合うために
―今、グリーフを抱えているWanQolの読者へ向けて、伝えたいことはありますか?
グリーフを自覚できずに、飼い主さん自身が不安や苦しみの中にいると、自分のすべきことが判断できなくなってしまうことがあります。この記事を読んで、今自分が抱えているグリーフに気がつけたのなら、ぜひ今一度、愛犬との素晴らしい日々を過ごすために、今日からできることを考えてみてください。私は現在ステイマレーシアを余儀なくされていますが、不安を抱えていたり、ペットロスに悩んでいる飼い主さんのために、オンラインでのカウンセリングも行っています。また、著書を通して、日本の飼い主さん達のグリーフケアを手助けしています。
一番大切なのは、飼い主さんが愛犬と、「今日も一緒にこんなふうに過ごせたね。」「これが食べられたね。」「どこどこに行けたね。」といったように、楽しい毎日を過ごせることです。
そういう日々の積み重ねは、例えいつかお別れの時が来ても、飼い主さんのポジティブな思い出として、ペットロスの悲しみの中でも、自分を支えてくれます。ペットロスになることは自然なことです。お別れが悲しいのは、その子があなたにとって大切であることの、何よりの証です。それでも、あとで「こうしてあげればよかったかもしれない」と後悔するのと、「あの子は病気になっても、最期まで一緒にこんな風に過ごすことができた」と思えるのでは、ペットロスから立ち直るまでの期間も、天と地ほどの差があります。それを、どうか忘れないでくださいね。
―ありがとうございました。