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ルネジェンス合同会社代表。北里大学 獣医学部 動物行動学教室 研究生。人や動物の豊かな暮らしに貢献するための研究や事業に携わっている
噛み犬のしつけに関する情報をWeb検索した際、上位に表示されたサイトの多くで科学的根拠のない古い常識が掲載されていることが、ある研究調査で明らかになりました。
- 研究対象サイトの約6割が、信頼性が低く動物福祉に配慮しない情報を掲載。
- 獣医師が運営するサイトは、検索上位に掲載されにくい。
このような研究調査を行ったのは、北里大学獣医学部動物行動学教室研究生の伊藤かおるさんを始め、入交眞巳さん、松浦晶央さん、志賀保夫さん、田中雅織さんら調査チーム(2022年2月15日公開「飼い犬の咬傷行動に関するインターネット情報の信頼性」)。
科学的根拠のない仮説や主観的な情報を、一般の飼い主が鵜呑みにしてしまうことは危険だと警鐘を鳴らしています。
犬の飼い方やしつけ方に悩んだら、スマホで検索すれば大量の情報が無料で入手できます。しかし、その情報は本当に正しいのか? 信頼できる内容なのか? 犬に関する情報についてはまだ整備されていないのが現状です。
では、飼い主は、どのように犬に関する情報を選ぶべきなのでしょうか? 研究調査を行った伊藤かおるさんに取材しました。
目次
- 噛み癖・吠え癖を理由に飼育放棄。犬の咬傷事故は年4,200件以上
- 愛犬の噛み癖に悩み。飼い主ブログに感情移入
- 「噛み犬 しつけ」上位検索結果に獣医師が運営するサイトは含まれず
- 専門家の監修は約2割、科学的根拠の明示は2.3%
- 検索上位の約6割で動物福祉が考慮されず
- 検索上位サイトの情報も疑ってみてほしい
噛み癖・吠え癖を理由に飼育放棄。犬の咬傷事故は年4,200件以上
日本における犬の咬傷事故は年々減ってきています。しかし、2018年には4,249件の報告があり、4,270頭の犬が咬傷犬として報告されています(※環境省「犬による咬傷事故件数(全国計:昭和49年度〜平成30年度)」)。
このデータについて、伊藤かおるさんは「あくまでも保健所に届出されたものに限られ、実際には4,249件を大きく上回る咬傷事故が発生している」と予測します。
また、人と動物の共生センターの奥田順之氏らが発表した「犬の飼育放棄問題に関する調査から考察した飼育放棄の背景と対策 」によると、保健所や動物愛護団体などに預けられた犬の20.8%が問題行動(噛み癖・吠え癖)を理由に飼育放棄されていることもわかっています。
「犬が吠えたり噛むのには様々な理由があり、適切なアプローチをすれば改善させることができます。それにもかかわらず、問題行動を理由にたくさんの犬が飼育放棄されているのは、飼い主が正しい情報にアクセスできず、問題行動に一緒に向き合ってくれる専門家に出会えていない可能性が高いです。」と伊藤さんは危惧します。
そんな伊藤さん自身も、かつて愛犬の噛み癖にとても悩んでいた過去がありました。
「今回の『飼い犬の咬傷行動に関するインターネット情報の信頼性』という研究調査を実施した背景には、私の愛犬との体験も大きく関わっています」と伊藤さんは振り返ります。
愛犬の噛み癖に悩み。飼い主ブログに感情移入
伊藤さんは数年前、ミニチュア・ダックスフンドのがんもと暮らすようになりました。しかし、噛み癖が治らないことから、インターネットで解決方法を探したり、ドッグトレーナー数名に相談したりしました。
それでも、愛犬の噛み癖はなかなか改善されなかったため、専門家が開催する飼い主向けのセミナーに足しげく通ったり、自分自身もドッグトレーナーの資格を取得したりと、愛犬との関係構築に向けて猛勉強します。
その結果、最新のトレーニングの考え方が身につき、愛犬にマッチした専門家とも出会うこともでき、よやく噛み癖が改善しました。
しかし、全ての飼い主が、しつけについて熱心に勉強や行動ができるとは限りません。
犬の問題行動に悩んでいる多くの飼い主は、かかりつけの獣医師に相談するよりも、自分と似た境遇の実体験が記載されている個人のブログなどに、つい感情移入してしまいがちです。
伊藤さん自身も、最初はそうだったと振り返ります。
「噛み癖に悩み始めた頃はインターネット検索で引っかかったブログの情報を信じていました。何度も自分で情報を収集して、犬へのリテラシーが向上したことで、改めてネット上には根拠のない情報がたくさんあるということに気が付いたんです」
例えば、犬の噛み癖に悩んだ飼い主が、噛み犬のトレーニングが得意だと広告しているサイトを見つけ、そこにUPされている動画を視聴する。しかし、その動画で推奨されたトレーニング方法が、強制的に力で犬の行動を押さえ込むような、動物福祉(※)を無視した方法だったら、どうでしょう?
飼い主が同じことを愛犬に実施した結果、期待した噛み癖の改善がみられるどころか、むしろ悪化する危険性も大いにあります。実際、そういったことが起きてから、トレーナーに相談する飼い主も少なくありません。
「自分と同じような飼い主がたくさんいるはずなのに、インターネットに掲載された情報の質については評価されていない」という伊藤さんの問題意識が、今回の研究調査のきっかけになりました。
また、伊藤さんは10年間、製薬会社に勤めていた経験もあり、その頃から、人間の医療業界では、ネット情報の信頼性について危惧され、議論される場面を目にしてきました。
例えば、がん患者がネット上に記載された癌治療の副作用の内容を信用し、必要な治療を拒否するといったことは、実際によくあります。
医療の進歩と共に、副作用を緩和できるノウハウも蓄積され、サポート体制も整備されてきているのにもかかわらず、ネットの情報に左右されて患者さんが専門家である医師の意見に耳を傾けることができなくなってしまうのです。
「犬の問題行動に関する検索でも、同じことが言えると考えました。」
※動物福祉(アニマルウェルフェア)とは
動物が生まれてから死ぬまで、その動物本来の行動をとることができ、肉体的にも精神的にも欲求が満たされていなければならないという考え方です。
国際機関である「世界動物保健機関“OIE”」では、動物福祉(Animal Welfare)は、「動物が身体的・心的に健康で幸福であるかということ」と定義されています。
日本の農林水産省ではOIEの勧告にもとづく動物福祉の定義について「動物の生活とその死に関わる環境と関連する動物の身体的、心的状態」と紹介しています。
「噛み犬 しつけ」上位検索結果に獣医師が運営するサイトは含まれず
研究調査を行うにあたって、伊藤さんらは、獣医師・動物行動学研究者・生物統計学者・質的研究の専門家による評価チームを構成しました。
検索対象としたキーワードの選定は、よく検索されているキーワードを確認することができるツール(Googleトレンド)を使用した結果と、一般飼い主がよく検索に用いると予測されるキーワードから「噛み犬」「しつけ」「トレーニング」に設定。
評価の対象となった上位サイトはYahooとGoogleでそれぞれ2回、合計4回の検索を行い、表示された103件のwebサイトから、重複を除いた43件(2020年2月時点)。
また、これらのウェブサイト運営者を職業のカテゴリー別に、次の8グループに分類しました。
- 警察犬訓練所
- 犬の保育園・犬の幼稚園
- ドッグトレーニング教室・ドッグトレーナー
- 獣医師
- 営利団体・企業
- 非営利団体
- 個人の飼育者
- その他
検索上位サイトには、ドッグトレーニング教室や個人のドッグトレーナーによる宣伝広告を兼ねたページが一番多く、2番目にドッグトレーニング関連グッズの販売やペット保険を扱う営利企業の情報提供サイト等が含まれる、という結果になりました。
「驚くことに、今回対象とした上位検索サイトの中には、獣医師によるウェブページは含まれていませんでした」
そして今回の検索上位に表示されたサイトの情報の質は、「情報信頼性」と「動物福祉の考慮」の2面から評価しました。
情報信頼性:
- 著者/監修者の記載
- 根拠の記載
- 運営者情報の記載
- 投稿日の記載
- 問い合わせ先(E-mail)の記載
動物福祉の考慮:
動物福祉「5つの自由」 とは
動物福祉(アニマルウェルフェア)の基本理念として『5つの自由』というものがあります。
- 飢えと渇きからの自由
その動物にとって適切で、十分な栄養がとれる食事を与えられているか。衛生的な水を常に飲める状態か。
- 不快からの自由
その動物の習性や生態をふまえ、適切な環境で飼育されているか。衛生的で安全な場所であるか。
- 痛み・怪我・病気からの自由
病気やケガを防ぐために日常から健康管理がされているか。痛みや外傷が見えた場合、適切に診療・治療されているか。
- 本来の行動が取れる自由
その動物が自分の意思で自由に行動するための空間・環境が整っているか。群れか単独か、習性に合わせて飼育されているか。
- 恐怖や苦痛からの自由
その動物が身体的・心理的に苦痛を感じていないか。ストレスがかかっていると思われる場合、原因の解決ができているか。
そして、専門職ではないウェブサイト運営者のサイトについては、犬の専門家へのカウンセリングを促しているかどうか、についても評価しました。
――以上の評価項目をもとに、作業は3段階に分けて実施しました。
ステップ1では、評価者2名がそれぞれ独立して、対象サイトに 「動物福祉の5つの自由」の考えを取り入れているかを評価し、ステップ2で、この2名の評価を共有し、結果を突合します。
そしてステップ3で、まとめた結果を全研究者に共有し、同時に全ウェブページを確認しながら協議して、全員の総意をまとめました。
今回の研究では、「動物福祉の5つの自由」に関する明確な表現や考えが表現されていない場合でも「考慮していない」と評価しています。
専門家の監修は約2割、科学的根拠の明示は2.3%
調査の結果、検索上位に表示されたサイトは、「営利目的の業種や企業が全体の約7割を占め、そのうち約4割は犬に関わる業種のサイト」でした。
「評価対象のサイトで、専門家による監修があったのは、たった2割程度。そして、科学的根拠の明示は2.3%にとどまるという結果でした。信頼性が高いとは言えない情報が、検索上位にたくさんあるということが明らかになったのです」
また、最終的更新日が記載されているWEBページの63.2%が2018年以前のものであり、情報が更新されていない実態も判明します。
「信頼性の低さだけでなく、情報自体の古さも明らかになりました」
情報の質についての評価は、犬の保育園・幼稚園が60%、ドッグトレーニング教室・ドッグトレーナーが46.2%。警察犬訓練所・訓練士が40%で、今回の評価項目の記載に対応しているという結果でした。
それに対して、非営利団体は24%。このことから、「情報の質」においてトレーニングの専門機関のほうが情報信頼性は高いという傾向が確認できます。
「個人の飼い主が運営するサイトの情報信頼性は極めて低い結果となっていますが、これには個人の経験を共有することが優先されているためと考察しています」
また一方で、営利団体・企業が運営するサイトは情報信頼性について取り組まれていた割合が相対的に高いことも判明しました。
検索上位の約6割で動物福祉が考慮されず
「全体のうち、動物福祉の「5つの自由」を考慮している記載割合は36.8%で、約6割のサイトで動物福祉を考慮しない不適切な内容が認められました」
動物福祉を考慮した記載があるサイトでも、今回の対象サイトには、その全てで「飢えや渇きからの自由」について推奨されていないことが明らかになっています。
伊藤さんら研究チームは、残りの4つの項目(不快からの自由、痛み・怪我・病気からの自由、本来の行動が取れる自由、恐怖や苦痛からの自由)と、専門家へのカウンセリングを促しているのかの5項目についても評価しました。
動物福祉を考慮している記載があった約4割のサイトのうち、
- 「不快からの自由」の記載は27.9%、
- 「痛み・病気・怪我からの自由」が51.2%、
- 「本来の行動が取れる自由」が27.9%、
- 「恐怖や苦痛からの自由」は41.9%
で対応している、という結果になりました。
もっとも動物福祉を考慮していたグループは8つのうちの「H(その他)」のサイトで90%、最も考慮されていなかったのは「G(飼い主)」が運営するサイトで8.6%です。
また、個人飼い主が運営しているサイトでは「不快からの自由」、「本来の行動が取れる自由」、「恐怖や苦痛からの自由」について、まったく考慮されていないという評価でした。
このことから、個人飼い主のサイトは情報信頼性の評価が極めて低いことがわかります。
全体のうち、専門家へのカウンセリングを推奨しているサイトは34.9%となりました。
伊藤さんたちはさらに、動物福祉の視点で不適切と判断された単語を、
- 犬に苦痛を与える行為
- 犬に不快感を与える道具や方法
- 飼育者との関係
の3つの特徴で分類し、具体的な表記について、次のようにまとめています。
「犬に苦痛を与える行為」の項目では、激しく殴る、犬の首や頬を噛む、犬の首根っこを激しく殴るなどの記載があります。
「犬に不快感を与える道具や方法」の項目では、しつけ用スプレー、大きな音を立てる、ガンガン叱るといった行為についての記載がありました。
さらに、「飼育者との関係」の項目においては、現在のところ科学的根拠が明示されていない「主従(上下)関係を見直す」等が見られたそうです。
この結果をもとにして、伊藤さんたちは動物福祉を考慮しない具体的な表記内容と関連する単語の共起ネットワークを作成しました。
インターネット情報の「動物福祉」を考慮しない具体的な表記内容と、特徴に関連する単語リストから作成された共起語ネットワーク
■共起ネットワークの見方
「共起ネットワーク」は単語同士の相対的な距離を表すもので、近くの単語同士は出現傾向が類似していて共起関係にあることを示しています。
円の大きさが出現回数を示し、同じ色の円は距離が近い単語同士であることを示します。また、共起ネットワークの特徴を表すための指標として、「ネットワーク中心性」を用います。
「ネットワーク中心性」とは、ネットワークにおけるリンクの重要性を表わす指標です。 つまり、動物福祉の配慮が欠けている単語として、上の図を見ると「恐怖」がネットワークの中で中心的な役割を果たしていることがわかります。
また、この中心となっている「恐怖」という単語が、「主従関係」「痛み」「口輪」「リーダー」の単語と特に関連していることが示されています。
【調査結果のまとめ】
- 提供されている情報で、専門家による監修は2割程度
- 科学的根拠の明示は2.3%
- 最終更新日が記載されているウェブページの63.2%が2018年以前のもの
- 約6割のウェブページで,動物福祉を考慮しない不適切な内容が認められた
検索上位サイトの情報も疑ってみてほしい
今回の調査結果を踏まえて、情報を発信する側と取得する側は、それぞれどのようなことに注意すべきなのでしょうか。
「まずはウェブサイト運営者が、飼い主を含めたウェブサイト閲覧者に対し、動物福祉の考え方を周知し、業界全体の情報リテラシーを向上してほしい」と伊藤さんは訴えます。
今回の研究でも、「犬の攻撃性を治療するには、犬の優位性を抑えることが必要」という考え方や、「主従関係を重視する」という考え方を支持する傾向も見て取れました。
これは、飼い主よりも先に犬に食事を与えたり、散歩で前を歩かせたりする行為が、犬を甘やかしていることになり、犬の優位性を助長して攻撃行動を増加させる、という考え方によるものと、伊藤さんらは推測しています。
「しかし現在、この考え方に科学的な根拠は示されていません。現在、動物行動学の分野では、疑問視されています。愛犬のためにも、検索上位サイトの情報でも一度疑ってみてほしいです」
飼い主が動物福祉の考え方を知ることは、主観や思い込みで情報を受け止めてしまうことを防ぎ、より適切な判断をすることにつながります。飼い主にも、情報や専門家を選ぶ力が必要です。
「ウェブサイト運営者は、客観的で科学的根拠に基づく情報発信を。飼い主は、検索で表示されたサイトに対し、動物福祉の指標「5つの自由」の視点から信用に値するのかを疑いチェックする習慣を。そうすることで、犬の問題行動やドッグトレーニングに関する業界全体で、情報リテラシーを向上していくことができます。ぜひ今日からそれぞれの立場で、意識してほしいと思います」
【注意事項】
- この記事では調査結果の一部を抜粋し、概要をご紹介しています。全文は研究文書をご確認ください
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jvma/75/2/75_e36/_pdf - 本研究では、共同研究者の議論とGoogleトレンドの結果を考慮して決定したキーワードをもとにしていますが、すべての飼育者が今回使用したキーワードで検索しているとは限りません
- ネット検索の結果は日々変化しており、今回の調査は一時点における結果にすぎないことを考慮する必要があります
- 研究にまつわる詳細なエビデンス・参考文献等は、研究文書をご確認ください
- 記事内に掲載されている犬の写真と本文は関係ありません。