更新 ( 公開)
米国のWRBIと連携し、カレリアン・ベアドッグをアジア初導入。日本初のベアドッグ繁殖プロジェクトも牽引し、日本におけるクマと人との共存の未来に向け、情熱を注ぐ。
クマとの共存を可能にする犬? ベアドッグとは?
目次
- 日本初 人とクマを守るために育成された犬、ベアドッグハンドラーになった田中純平さん
- 軽井沢のクマ対策は、駆除ではなく共存。「ベアドッグ」導入までの道のり
- ベアドッグとは? クマ対策に特化した犬種「カレリアン・ベアドッグ」
- 「ベアドッグ」はクマ問題が深刻化する軽井沢の救世主
- 初代ベアドッグ・ブレットの意思を注いで活躍するタマ
- 手作りの竪穴式住居で日本初のベアドッグの繁殖に挑戦
- ベアドッグのおかげで、迷惑な害獣だったクマが「森の守り神」に
日本初 人とクマを守るために育成された犬、ベアドッグハンドラーになった田中純平さん
日本各地で頻発するクマ(熊)による被害。2021年には出没件数・人的被害ともに過去最高(2万870件・158件)を記録しました。
長野県軽井沢町は、クマ対策のために特別に訓練された犬「ベアドッグ」の力を借りてクマによる被害を減らし、人とクマが共存する環境の整備に取り組んでいます。
日本ではまだまだあまり知られていないベアドッグですが、「ヒトとクマとの共存をめざして」活動を進める団体・NPO法人ピッキオ(以下、ピッキオ)の職員である田中純平さんを中心として、2004年にアジアで初導入されました。
田中さんは日本初のベアドッグ・ハンドラーとなり、犬の育成や繁殖までを成し遂げました。2011年以降は、町内の別荘地や住宅地でのクマによる人的被害をゼロにすることができています。
「決してクマを傷つけたりはしません。ベアドッグがクマを見つけた際には、大きな声で吠えたてて、森の奥へと追い込みます。人間の住むエリアに進入してこないよう、クマに“来てはいけない場所”を教えてあげることが大切なのです」と語る田中さん。
人とクマの共存、そしてベアドッグにかける想いについて聞きました。
軽井沢のクマ対策は、駆除ではなく共存。「ベアドッグ」導入までの道のり
国内屈指の別荘地・リゾート地として知られる、長野県軽井沢町では、1990年代ごろからツキノワグマの出没が頻発し、人的被害が懸念されるようになっていました。
クマによる被害の増加は、住民の安全だけでなく、リゾート地としてのブランド価値を脅かす恐れがあります。かといって、被害防止のためにクマを駆除し続けることもまた、自然豊かな町のイメージを大きく損なってしまう……軽井沢町はそんなジレンマを抱えていました。
別荘地・軽井沢町にクマが増加した理由
もともと軽井沢町は中山道の宿場町、そして朝廷に献上する馬の放牧地として、江戸末期までは人の手により草原等の開放的な環境が維持されていました。しかし明治期以降の別荘文化の発展と共に、草原から森林環境へと変化。それに伴い、森林性の野生動物であるツキノワグマが一年を通して暮らしやすい環境が広がっていきました。
一方、1951年からは町のほぼ北半分が、国の定める「鳥獣保護区」に指定され、同時期に別荘や住宅の数も増えていったことで、徐々にクマの生息域と人の生活域が重なり、人と熊の距離が近くなってしまいました。
そのような状況の中で特に問題になっていったのが、別荘地のゴミ箱荒らしの被害です。1999年には町に年間129件もの被害が報告されました。森林化が進む別荘地の森で、クマたちはドングリやクリ、クワやサクラ等の実、そして別荘の住民が出す生ごみを目当てに別荘地に入り込むようになり、様々な状況下において、クマの目撃情報が増加しました。
ゴミ箱周辺でクマと人が遭遇すれば、人的被害が起こる可能性も高くなってしまいます。本来、ツキノワグマは臆病で、人の気配を感じるとすぐに逃げていきますが、食べ物に夢中になっているときや子グマを連れているときなどは思いがけず人と接近してしまうことがあり、パニック状態に陥ったクマが人を襲ってケガを負わせてしまうこともあります。
軽井沢町は2000年、1992年から同町の自然環境保全に取り組んできたピッキオにツキノワグマ対策を委託、「駆除」ではなく「人とクマの共存」を目指す取り組みが本格的にスタート。もともと北海道でヒグマを始めとした大型野生動物の研究をしていた田中さんも、この取り組みに深く感銘を受け、ピッキオの野生動物保護管理の部門で働くこととなりました。
田中さんは軽井沢に来てすぐ、クマを寄せ付けないための取り組みが不十分だということに気づいたといいます。
「軽井沢町に限ったことではないのですが、日本のクマ対策は『人の近くにやってきたクマをどう駆除するか』という視点に陥りがち。しかし、駆除よりも前に、まずはクマを近づけない環境づくりをすることが大前提です。クマが好む生ごみ(残飯)や木の実、農作物をそのまま放置していたら、何度駆除してもクマの出没を防ぐことはできません」
そこで着任早々、田中さんが着手したのが町内のゴミ箱の刷新です。着任翌年の2002年には、クマの生態に詳しい「のぼりべつクマ牧場」や「北海道環境科学研究センター(現 北海道立総合研究機構)」など専門家の協力のもと、クマが絶対にゴミを漁ることができない「野生動物対策ゴミ箱」を富山県にある三精工業株式会社とともに開発し、2003年から町内のゴミ集積所に順次導入したところ被害が激減。2009年には公共ゴミ箱での被害ゼロを達成し、現在に至るまで被害がほぼない状態を維持しています。
ゴミ箱以外にも、クマを引き寄せる原因はたくさんあります。
たとえば、畑や家庭菜園の農作物もその一つ。ピッキオでは、農作物目当てのクマの侵入を防ぐための電気柵の設置を推奨しており、設置を検討している人にその効果を実感してもらうために電気柵の無償貸し出し事業も行っています。
思いがけない物がクマを惹き付けている場合も珍しくありません。軽井沢町ではクマの目撃があるとピッキオに直接、もしくは警察や役場を通じて目撃情報が寄せられるのですが、その場所に行ってみると、蜂の巣や木の実などクマの好むものがあるケースがほとんど。
「住民の皆さんのご理解をいただいて、クマの誘引物を減らしていく取り組みを地道に続けることが、クマ対策の原点です。これを怠って駆除だけをしても、根本的な解決にはなりません。こうした環境づくりはクマの専門家だけでは絶対に不可能で軽井沢町で暮らす皆さんの協力が不可欠です」
そのため田中さんは、人とクマが共存できる環境やクマの生態について知ってもらおうと、町内の小学校での出張セミナーにも力を入れています。
また、クマと共存できる環境整備と同時に、ピッキオが力を入れているのは、クマの個性を見極めること。クマは1頭1頭の個性が強く、行動範囲や行動パターンが個体により大きく異なります。警戒心が強くめったに人の近くに寄ってこない個体がいる一方で、何度も人家の近くで目撃されるおなじみの個体もいるので、個々のクマの個性に応じた対策が不可欠です。そこで、ピッキオはクマに電波発信器を装着し、電波でクマの行動を追跡。被害を出す可能性が高いクマとそうでないクマを識別することで、有効な対策につなげています。
しかし、この取り組みには限界がありました。頻繁に人の近くに現れるクマが識別できると、そのクマが人の近くに来ないよう、ピッキオのスタッフが『追い払い』をするのですが、電波発信器ではだいたいの場所しか特定できないため、常にクマと近くで遭遇してしまう危険にさらされてしまいます。
また猟銃で威嚇弾を発砲しクマを追い払う方法もあるのですが、夜間や建物付近では銃砲の使用が禁止されています。夜間、しかも別荘地にクマが出ることの多い軽井沢では使えません。
何より、人による威嚇は、人の存在に慣れてしまっているクマにはあまり効果がありません。中には人が追い払ってもあまり逃げようとしないクマもいるほどです。
「そこで、もっと効果的な方法はないだろうか……と考えた結果、頭に浮かんだのが、“ベアドッグ”の存在でした」
クマと共存するための対策
- 誘引物の管理(ゴミ箱の新設、木の実の排除・農作物への電気柵など)
- 電波発信器による問題行動を起こすクマの特定
- ベアドッグによる追い払い
- 地域の人への教育