転勤族の夫とともに、全国を転々としている。現在は東京の片隅で書店員として勤務。今年、『書店員は見た 本屋さんで起こる小さなドラマ』を上梓した。

レイルは、近隣のお寺で荼毘に付された。
翌日以降に納棺し、家族でお骨を拾うことも出来たのだが、今日しかいない夫と一緒に見送るとなると、すぐに納棺、そして明日火葬という流れにするのが最適だと思われた。
その場合、後日お骨を引き取りにお寺に行くことになる。
目次
- レイルがいない家で、涙が止まらない
- 白い風呂敷に包まれて、レイルが帰ってきた
レイルがいない家で、涙が止まらない
レイルが不在の家は、大切なピースが欠けたパズルのようで、居心地が良くない。昨日の昼までレイルが寝ていたラグや、ごはんを入れていたボウル、目に入るもの全てが私の涙腺を壊してしまう。
前触れのない間欠泉のように噴き出る涙に、この調子では仕事にも行けないと不安になるが、どうやってもコントロール出来ないのだった。
白い風呂敷に包まれて、レイルが帰ってきた
週末、レイルのお骨を迎えに、お寺に向かった。
私が運転する車に、息子と娘が乗り込む。
子どもと車に乗ることなんて、東京に住み始めてからは数回しかない。
電車で移動する方が便利で早いから、車で移動するのは週数回の買い出しの時と、レイルを病院に連れて行く時くらい。つまり、家族のなかで、この車で私とドライブした時間が一番長いのはレイルなのだ、ということに思いが至り、また涙がボロボロと流れた。
子どもたちは「泣き止んでから車出してね」と言う。
毎日飽きることなく泣き続ける私に、2人ともやや呆れている様子で「毎日、よく泣くなぁ」と苦笑いする。
10分後、涙が引っ込んだところで、私はようやく車を発進させた。
お寺までは車で20分ほどの道のりだが、途中で、通い続けた大学病院への道を通り、また涙が溢れ出たため、休憩を挟み、1時間近くかけて到着。
お寺は厳かな雰囲気に包まれている。
お坊さんの後を、棺とその家族が歩いているのが見える。これから斎場に向かうのだろう。
私たちは、お骨が預けられている場所に向かい、受付のかたに声をかけた。
名前を名乗ると、奥からレイルが出てきた。
それは、白い風呂敷に包まれた大きな骨壷。
「大きい子だったんですね」
受付のかたが優しく笑った。
息子が骨壷を抱き、言葉少なに駐車場へ引き返す。
骨壷であっても愛おしく、そっと蓋の部分を撫で、私はまた泣いた。
私は、レイルがいない毎日が想像出来ていなかった。
余命を告げられてから時間はたくさんあったのに。
レイルが頑張ってその時間を作ってくれたのに。
泣いてばかりの自分が情けなくて、また涙が出てくる悪循環。
レイルのお骨は、いつもごはんを食べていた位置におさまった。

リビングとキッチンの間にあるので、いつでも目に入る。
四十九日まではここに居てもらおうと、手作りの仏壇を用意して、通るたびに撫でていたら、だんだん撫でている場所が汚れ、くすんできてしまった。
私は、レイルがいなくなってから、ずっと同じ場所でうずくまっていた。
これが世に言うペットロスなら、どうやっても乗り越えられる気がしない。
四十九日まであと少し。
もうすぐ夏がやってくる。











